正解だらけのクルマ選び その20【ランチアY④】
『旅とは人生であり、人生とは旅である』
かの中田英寿氏が衝撃的な引退を決めた2006年ドイツワールドカップ敗戦の直後、彼のブログの最後に綴られた言葉だ。
偉大なサッカー選手である彼と並べるのは不遜だが、想いが周りのメンバーに伝わらずに孤立する当時の彼と、中々周囲に理解されない自分や自分自身の考えとを重ね合わせ、妙な親近感を覚えた時期があった。
僕も旅が好きだ。ランチアYに乗った9年間、日帰りでも宿泊でも様々なところへと旅をした。板前修業で忙しい最中も、週末の夜中に車を飛ばし、松崎の岩地という大好きな海岸へよく行ったのもその一つ。そこは夏の間、砂浜に古い漁船を文字通り湯船にして温泉を引き、露天風呂になっている。夜中だから宿泊客以外ほぼ人気もなく、車の中で水着に着替えて温泉へと浸かる。潮騒を音楽に星空を眺めながらゆっくりとして、近くの空き地にテント泊だったり、Yを飛ばして往復140kmの道のりを真夜中に日帰りしたりした。
ランチアYがやってきた最初の夏。人生最大級のポテンシャルエネルギーとモチベーションで2年間の料理修行を過ごしていた僕は、3年目と少しを迎えて、急な環境の変化で呆けていた。梅雨時に親方が脳動脈瘤で倒れ、それを自分一人で乗り越えたのちの自信と不安。そして、倒れた親方を気遣って帰って来た兄弟子の存在によって、元の下働きに戻ってしまった故のモチベーション低下。3年で料理修行は終えるつもりでいたが、その年の12月にそれを待たずして辞めることになったのは、この時の高知への旅がきっかけだと思う。
「日本最後の清流、四万十川が観たい」
夫婦で意気投合したので往復1500kmを超えるクルマ旅を計画した。ルールは基本がキャンプでそれと下道、つまり高速道路を使わないで高知へと向かうこと。理由は単純で貧乏だったから。行きたいところはザックリと下調べして、4泊5日の野宿旅に出る。若かったから出来た。とはいえ、よく妻は付き合ってくれたと思う。テントと寝袋と最小限の着替えを持って、初日は東海道をひた走り、大阪に住む大学時代のバレー部の先輩・徳永力さんの家に泊めて頂いた。彼は以前書いた記事【ローファーと鎌倉の小路】の方だ。
翌朝、四国へ入るためには止むを得ないので、高速道路で垂水のトンネルを抜ける。開けた先の瀬戸内海はキラキラと眩しく、その明石海峡大橋を渡ると淡路島。次に瀬戸大橋で《鳴門の渦潮》を眼下に見て初の四国上陸。海岸線を行き台風で有名な室戸岬へ。見渡すかぎりに太平洋の水平線。ここで傘をひっくり返して「スゴイ突風です…」ってどう考えたってマヌケだ。そのすぐ最寄りの県立運動公園の体育館横の芝生広場にテントを張ると、最高の寝心地だった。
三日目。【それいけアンパンマン】の作者・やなせたかし氏の故郷や、岩崎弥太郎の野良時計のある生家を眺めて、桂浜を過ぎ翌日のホエールウォッチングのために土佐久礼という小さな漁村の港街へ。目指していたそこの料理屋が絶品続きだった。聴いて納得、このご主人は京都で修行したとのこと。自分も静岡は沼津の京懐石で丁稚の身だと伝えたら、おまけで出してもらえたのが地元で獲れたハモ。水槽からすくって潰したてのその魚を焼き霜に。まだ生温かく柔らかで、フワリと広がる旨味が舌に染みる。
翌朝、前の晩から降られた雨で残念ながら船が欠航。クジラは見れず残念無念。先に進ませ、目的地に到着。日本最後の清流《四万十川》は雨に濡れていた。しばらく川沿いを行き、地元の軽トラについて行って*沈下橋を渡る。小型なランチアYでも脱輪ギリギリだったのにはヒヤヒヤしたけれど、降り立った川原には曇り空でも翠(あお)く澄んだ清流が流れていた。その脚寄り道、《無手無冠酒造》の蔵元見学をさせて貰い、有名な《ダバダ火振り》という栗焼酎を土産に買って帰る。さて、昼飯。事前に調べた店へ行こうと探し回って、ようやくたどり着いた四万十川の天然ウナギの店。川海老の唐揚げなどをつまみながら待つこと1時間。小ぶりだが、頭(かしら)のついたままのうなぎの蒲焼に頭ごとがぶりつく。旨い、美味すぎる。後にも先にもあれを超える『鰻』は未だない。
やっと晴れ渡った帰路の道沿いの四万十川も、アメリカまで見えそうな太平洋の大海原も、突き刺すような南国土佐の夏の日差しを浴びても穏やかだった。高知城の近くにて立ち寄った祭りの露店で、ウツボの唐揚げや藁で炙ったカツオのタタキに舌鼓。いくらでも食べられる。再び、ただただひた走り、大歩危・小歩危を抜けたら吉野川の徳島平野。藍染と卯建(うだつ)の街、美馬。徳島ラーメンでB級グルメ。鳴門海峡、明石海峡へと戻った。本州へ再上陸して道に迷った先には、関宿の麗しい古民家の街並みが続いていた。怪我の功名とでもいうのだろうか、車を降りて散策して脚で味わった。
東名阪道や名港トリトンからは疲れたので高速道路解禁。やがて富士山が見えて沼津へ入るとやたらウェットなことに気がついた。駿河湾は湿度が高い。高知の『カラリ』とした海とは少々異なっている。町の気性にも影響があるのかもしれない。そしてようやく三島へと戻ってきた。お疲れさん、イプシロン。
高知の海も、空も、四万十川の流れも、人生をそんなに急いで行く必要はないよ、って伝えているようだった。やりたいように生きたいように、自分のペースで行けば良い、そう語り掛けているようだった。プランを立てて、ペースを決めて、禁欲的に進むのはもう止めよう。その道を僕らと共に走ってくれたイタリア車・ランチアYも横で頷いている。
人生は旅だ。レースじゃない。その瞬間の一時一瞬をどんな風に味わって楽しめるのか。きっとそれが一番大切なんだろう。と、あれから18年(2021年現在)経つ今も想う。
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