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立花隆さんの『知の旅は終わらない』

みなさん、こんにちは。
このnoteでは、これまで読んだ本で印象に残っていることも少しずつ紹介したいと思っています。

今回は、昨年亡くなられたジャーナリストの立花隆さんの言葉から。
立花さんは、「田中角栄研究」「日本共産党の研究」などで知られる日本を代表する文筆家です。すごいのはその興味の幅で、哲学や政治から宇宙、脳、歴史、音楽などありとあらゆる分野を読み、書き残しています。

『知の旅は終わらない』という新書に、立花さんが読みまくり書きまくってきた遍歴がつづられています。

その中でも、東大生時代の1960年に旅したヨーロッパで、社会運動に加わった経験を振り返っての話が抜群に面白い。以下の「」は引用です。

「いろんな時代に、いろんな人々が、いろんな団体を作って活動を行なっている。それらは必ずしも長続きするような性質のものではありません。しかし、それはそれでいいんです。(中略)ある時期、ある問題に関して、ワッと燃えて集まって、組織を作って運動する。しばらくするとそれは、歴史のなかに消えていくんだけれども、消える一方で消えることなく歴史の底に積み重なっていく部分もある。新しい運動が起きるときは、そのなかからまた新しい力が引っ張り出される。そういう関係なんです」

とても明晰な捉え方だと思いました。社会運動としてもそうですが、日常にあっても、非生産的であったり意味の見いだせないような出来事の中に、部分的にでも生産的であったり意味のある営みがある。そこから次の価値が生まれ始めるのだと思うと、人生に100%無駄なことなんてないのだと前向きになれます。

また、そうしたヨーロッパ体験を通してこう述べています。

「人間の知的な営みについてひとこといっておくと、人間はすべて実体験というものが先なんです。これは何だろうという驚きがまずあって、それを理解したいから、本を読んだり、考えたりするんです。(中略)理解とは、百科全書的な知識をただ自分の頭の中に移し替えて獲得できるという性格のものではないということです。自分の全存在をその中に置いたときに、はじめて見えてくるものがある。あるひとりの人が、ある具体的な人間存在として、あるときある場所で、ある具体的な世界を見ている。そういう具体的な事実関係抜きの認識なんてない。あらゆる認識は、その認識が成立したときの具体的事実関係に根ざした色がついている。無色透明の認識なんてないんです」

これもまた、非常に考えさせられた文章でした。
本を読んだりニュースを見るだけで何かを知った気になるのではなく、その場所、その場面に自分の身を置いてみて、はじめて見える景色があるのですね。
もちろん、その時その場所に身を置ける場面が多くないかもしれません。しかし、「当事者性」を追及し続けていく姿勢というのは大事にしたいと思いました。

そのほかにも、宇宙飛行を終えた飛行士の中に、神の存在を信じるようになった人が多かったといった話なども面白かったです。(科学と宗教の関係性)

今回紹介した本は、創価学会の運動にも通ずるものがあるのではないかと思い、学会員の夫にも薦めてみたところです。

今度ゆっくり感想を聞いてみたいと思います(*´-`)

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