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報道される「宗教」って人によっては迷惑じゃない?軽く危惧。

 先に言っておきますが、僕は世俗の人間です。周囲には有難いことに尊敬できる「聖職者」(多くは僧侶の皆さん)が数名はいらっしゃいます。今回は「宗教」や「信仰者」の是非ではなく(それはパーナルな話になります)、「宗教」に関わる、

①「出来事・事件」

②「メディアによる「宗教」の扱い方」

③今後の「宗教」と補足説明の必要性

をキーワードとして少し考えてみたいと思います。

1.現代社会の「宗教」と出来事 -「記憶」-

 さて、前近代までは『となりのトトロ』の愛すべきキャラクター「まっくろくろすけ」のように日常の隅々にまで浸透していたであろう「宗教」ですが、近代以降は徐々に宗教への「信仰」が科学への「信頼」に変わっていったようにも思えます。とはいえ、ここ20年ほどの間に限定しても「宗教」が関連した事件や出来事というのは相当数存在しており、また今日でもニュースなどで耳にすることもあります。

 現代史に刻まれる「宗教」に関する事件・出来事の代表としては、やはりオウム真理教による「オウム三大事件」でしょうか。公表された被害者総数は、死者29人(殺人26人、逮捕監禁致死1人、殺人未遂1人)、負傷者6,000人となります(「公証人役場事務長逮捕監禁致死事件」,1995,2,28は含めていません)。オウムに関しては事件内容が多すぎる、関連が疑われてはいるが未解決、時効になった事件もあります。ほかにも、浄土真宗親鸞会、ラエリアン・ムーブメント、ベストグループ、オルター・カレッジなど、自己啓発を謳いつつ「宗教」的活動を行う組織もあって、正直なところ枚挙に暇がありません。

 推察するに、こういった「自己啓発セミナー」≒「宗教」といった組織や活動は、インターネット環境が一般化された今日にあっては、以前よりもさらに増加している印象も受けます。事件・出来事の数の多少については他国の比較対象がないので有意なことは言えませんが、決して少なくない数であるのは明らかでしょう。ただ、ボクたちが考えるべきは、数の問題というよりも、それら出来事がメディアを通すことによって容易にお茶の間に届けられ、結果として人々にどのような影響を与えたのか、という問いです。

ボク自身が考えつつ実感したのは、

「それぞれの事件や出来事が起きた詳細な年代などは忘れたけど、週刊誌やテレビなどにおいて取り上げられた事件・出来事については多くが頭に残っている」

ということです。

 つまり、常に宗教問題についてアンテナを張っている研究者でもない人々を主語にした場合、現代社会の日本人の宗教観を考える際に言える確かなことは、事件・出来事の数や年代、事件後の司法判断云々よりも、その事件自体が悲哀、怒り、笑い、呆れなどの感情と共に視聴者に対して「宗教」に関わるインパクトを与える(与えちゃう)という事実です。

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2.メディアで扱われる「宗教」と視聴者の交錯

 諸事件・出来事の背景は単純なものではなく、同一線上で語ることは難しいですが、お茶の間を含めた社会一般への影響を優先した場合、要約的に取り出すことはできます。以下に大まかにまとめてみると、

①刑事・民事を問わず事件化したもの
 これは大分類として多くの事例にいえることですが、とりわけインパクトをそなえるものは暴力、カネ等に関わるもので、代表的なのはオウム真理教事件、ライフスペースによるミイラ化事件などが該当します。直近の事件では、2017年5月に大阪府河内長野市の寺院の敷地内に土砂を無許可で搬入したとして、大阪府警は寺院を営む宗教法人「成田山不動院」(大阪府)の僧侶ら6人を府土砂条例違反容疑などで逮捕。府警は、当該宗教法人の僧侶数名が建設残土の受け入れで多額の利益を得ていたとみて調べており、テレビ報道でも大きく伝えられてました。

②芸能人・著名人が関わったもの
 お茶の間では、芸能人や著名人が関わった「宗教」に関する出来事についてはワイドショーや週刊誌などで取り上げられ、内容もネガティヴな見方に偏重している場合が多い。代表的なものといえば、「ホームオブハート」とロックバンド「X JAPAN」のヴォーカリストであるToShI氏による教団への多額の寄付金(多額の献金)と彼に対するマインド・コントロールの問題、お笑い芸人「オセロ」の相方である中島知子氏による霊能者(占い師)への心酔と家賃滞納などカネを巡る問題、元歌手・女優である桜田淳子氏による世界平和統一家庭連合世界(旧世界基督教一神霊教会、統一教会)への入信、教会が主催する世界合同祝福結婚式(合同結婚式)への参加と芸能活動の休止などが挙げられます。

③教祖と信者がすさまじいインパクトをもっている場合
 これは①とも関連がありますが、教祖と信仰者の言動では予想以上の影響力を持っています。
「オウム真理教」の確定死刑囚であった麻原彰晃(松本智津夫)による座禅姿勢のまま宙に浮く(飛ぼうとする)修行実践の映像、ダライ・ラマと同席して「宗教」について対談した映像、1990年の衆議院選挙で真理党として出馬。結果は落選でしたが選挙活動にみられた教祖麻原の巨大な仮面を被って踊り歌う支持者(信仰者)たち、そういった諸々の光景は多くの人々に対してはある種異様なものとして目に焼きついているはずです。

 オウム以外でも、たとえば「パナウェーブ研究所」による信者自身や多数の車両に白装束を纏い集団走行をした模様などは、オウム真理教との類似性を専門家や報道によって(特に根拠もないまま)指摘された結果、少し過度な印象を受けるほど多くの報道がなされましたね。さらに「法の華三法行」の教祖福永法源(福永輝義)によるパフォーマンス、

(福永)「最高ですかぁ~!!」
(信者)「最高でぇ~す!!」
(皆様)「ウッワーーーー!!」


などはもはやお笑いの域に達している。

 勝てないと思った。足裏診断なるもので「このままでは病気になる」など非科学的かつネガティヴな診断を相談相手に宣告した挙句、それを信じた信仰者からお布施を巻き上げる。結果として約600億円以上のカネを集めたというのは個人的な感想としては正直な話たいしたもんだと両者含めて感心してしまいます。
 結局、福永氏は、霊感商法・詐欺罪として懲役12年(ちなみに模範囚でした)に服することになりましたが、あのパフォーマンスと教団施設に置かれた巨大な足裏の像は、お茶の間の多くの人々を笑わせたに違いない。ボクもそのひとりですが、こういった出来事に対して「笑う」という感情表現は軽視されるものではなく、その出来事に対して大きなインパクトをそなえ、記憶として定着させるという側面をもっているはずです。

 上記に挙げたような「最高な」巨額詐欺ではなくとも、いわゆる「スピリチュアル・ビジネス」は成長の一途を辿っています。街中でよくみかける「パワーストーン」って?テレビ朝日で放送(2005年4月~2009年3月)していた高視聴率番組「オーラの泉」で一躍有名になった江原啓之氏や「占術家」細木数子氏の語りを消費者である我々はどう扱えばよいのか?もう終了したようですが各宗派の僧侶が集まって「宗教」を語るバラエティ番組。

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 まぁ、これまで敷居をごっつい高くしてきた寺院などでは学ぶべき事項もあるのかもと思いますが、なんでしょうか、あの違和感。内容もともかく代表性を持ってしまうことへの躊躇や葛藤さえ感じられないまま番組の進行に身を任せる。あるいはほとんどの雑誌で紙面を潰すように貼り付けられた「占い」コーナー、日常会話でよく出てくる「血液型による性格診断」など、霊感、スピリチュアル、癒し、パワーといった用語が頻発するようになった今日では、霊感商法の類は程度の違いこそあれ需要と供給のなかでビジネス化しているし、理由は簡単なもので視聴率がとれるからでしょうけど、オウム事件以後は自粛していた超自然現象を扱ったテレビ番組も現在では常態化しています。もちろんボクは(こんなこと言わずもがななんですが)、

非合理なものはすべてなくせと言っている訳じゃありません。

 ただ、これまで述べてきたような個人的・社会的「記憶」やメディアで何の補足説明もなしにダダ流しにされる広い意味での「宗教」は、真面目に僧侶や聖職者として実践・活動されている方を含む「宗教」に関係する人間に対して、一律化されたネガティヴあるいは虚偽のイメージを与える危険性があります『イスラム報道』はどうなったんでしょうか)。

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3.情報化された「宗教」に補足情報を 

 どのような「宗教」の「信仰者」であれ、あるいは社寺などの宗教施設を訪れる人が実際は「信仰心」のカケラさえなくても、身体実践として合掌して何かを願ったり、祈ったり、先祖を思い出したり、おみくじを買って一喜一憂したり、非日常的な雰囲気に癒されたり、心の安心や平穏を獲得することはあるでしょう。科学では理論的に説明できないかもしれないけれど、「宗教」が人間の精神に対して合理的な作用を及ぼしているということです。

 だからボクとしては、今後も同じような出来事や事件が生じた時、あるいは「宗教」的な番組が制作され、面白おかしく、あるいは強調されつつメディアで流されるのであれば、せめて専門家による捕捉説明ぐらいは欲しいなと思うわけです(「遅い情報」でもいいかと思います)。もし子どもが視聴者ならば隣にいる保護者が説明するってのも大切でしょう。

「エーテル・・・」

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「エーテル」なあ・・・。

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