「フットボール風土記」第5章 ~ワールドカップとJFLをつなぐもの~ FC今治 2018年 文月~霜月
フットボール風土記の紹介記事第5章編です。
筆者はワールドカップもJFLでもフットボールはフットボールで、ゴールの瞬間や勝敗の明暗から得られる感動にカテゴリーの差はないと考えている。
2010年南アフリカワールドカップでスペインが見せたポゼッションサッカー、2014年ブラジルワールドカップでドイツを中心に主流になった縦に早いサッカー。
こうしたトレンドは日本の下部リーグにも見てとれる。
JFL参入2年目、それまでチームを率いてきた吉武監督が成績不振により解任され、後任にコーチの工藤氏が内部昇格した。
吉武監督が作り上げてきたポゼッションにこだわるサッカーに相手に合わせる戦い方を加えた工藤監督の戦い方で大事な一戦で勝利をもぎ取った。
前任者が残した良い部分を残しながら良くなかった部分を改善することで結果を残す。
ワールドカップ直前、ハリルホジッチ監督から西野監督に変わり、結果を出した日本代表を想起させる話である。
惜しくもこの年はJ3昇格を逃したFC今治。
筆者にはこの年経営に専念するために現場に関与することを極力控えていた岡田がもっと現場に関わっていればもっといい結果が出たのでは、という考えが浮かんだが、岡田の行動には明確な根拠があった。
1997年に加茂監督から日本代表監督を引き継いだ岡田は、その当時の大先輩たちが何も言わずにまだ41歳だった岡田に監督を任せてくれた経験から、余計な口出しを現場にするべきではないと考えたという。
97年に悲願のワールドカップ初出場を決め、16年には南アでの16強、そしてその8年後には今治の地でJ3昇格にチャレンジしている。
一見すると全く関係のないように見えるワールドカップとJFL。
しかし実のところ、フットボールの世界はすべてが連続している。
その事実を岡田の20年以上にわたる挑戦の歴史に見る思いがする。