「フットボール風土記」第2章 ~親会社の都合に翻弄されて~ 三菱水島FC 2017年・陸月
フットボール風土記の紹介記事、第2章編です。
三菱水島FCのベテラン選手はインタビューにて、2016年に行われた全国地域サッカーチャンピオンズリーグでFC今治やその代表である岡田武史氏にばかり注目が集まる状況に悔しさをにじませていた。
地域CL決勝ラウンドは残念ながら全敗で敗退したものの、全国社会人サッカー選手権大会を優勝したという事実が彼らが単なる「やられ役」ではなかったことを示している。
岡山県のローカル線に数十分揺られると彼らのホームタウンである岡山県倉敷市水島にたどり着く。
周りに人気はなく、かつては企業商店街として栄えていた町もシャッター商店街と化している。
自前のグランドはボコボコの土グランドであるものの、04年には中国リーグ3連覇を遂げている。
当時JFL昇格を決めたはいいものの、チームにはその気はなかった。
結局JFLでは結果を残せず、自力残留は5年間で1度のみ。
そんな三菱にさらなる試練が襲ってきたのは09年。
リーマンショックの影響でJFL退会を余儀なくされ、県リーグのさらに下の備中2部までの降格も一度は検討された。
関係者の交渉によってなんとか県1部からのスタートに踏みとどまり、11年には7シーズンぶりの中国リーグ復帰を決めた。
迎えた2016年、天皇杯進出がかかる県選手権の決勝前に2度目の試練が待ち受けていた。
会社の燃料データ改竄問題が発覚し、責任を問われて大会を辞退することになってしまった。
アマチュアクラブにとっての天皇杯は注目が集まる大会とあって重要度が高かったので三菱にとっては痛い決定だった。
地元民もこの決定については会社の責任であって三菱水島FCには関係のない問題だったので辞退には納得がいかなかったと語っている。
それでも三菱のメンバーたちは次に参加した全社予選で際だったパフォーマンスを見せ、見事初優勝を果たした。
しっかりブロックを作り、カウンターに転じるサッカーがことごとくはまった。
2016年には地域CLに参加し決勝ラウンドまで進出するも、決勝ラウンドでは全敗で終えてしまった。
2000年代初頭にはJリーグを目指さないかという打診が岡山サッカー協会からあったもののそれも断ってきた三菱水島FC。
これからもその姿勢は変わらないだろう。
逆にその何も変えようとしなかったことで設立から71年の歴史を刻めたのではないか。