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【エッセイ】どんでん返し


 小さい頃から信じるのが苦手だった。喋りたいのに、喋るそばから何を話そうとしているのか、分からなくなる。皮膚への直接的な刺激には敏感だった。意識より早く身体が反応していたから。
 半世紀を生きのび、パーキンソン病に罹患した。躰の震え、筋固縮、直立歩行不可、頻尿、便秘、幻覚・錯視など。大規模言語モデルに倣い、縦横無尽・時空間連鎖の〝語彙窃盗〟方式で語る。拠点を明らかにして原理論を慎重にたどる。だが今の時代、これが難しい。多くの人が主観の押出しと連帯に胡坐をかきたがる。
〝信じる・信じない〟を発語するには、眼前の対象の存在を認知していなければならない。「希望がないところに、絶望はない」と不条理を語ったアルベール・カミュは正しい。進行性の難病パーキンソン病は「死に至らない病」であるが「決して快癒することのない病」。 可動を旨とする身体性にあっても、非可動の「負」は内包されている。「信じるのが苦手」が昂じて眼前の現象が非在に転じてしまったら、元も子もない。取り急ぎ身体性を脱水機にかけた。結果の一節がこれ。
「負の身体性を、世界のどんでん返しで超克せよ」
 とうとつに言われても、まごつく。濁流と化した脳裡内の渓谷で考え抜いた。つんのめり気味に、二つのコンセプトを用意した。無呼吸症候群の患者のやむにやまれぬ微細な息のように。週四日、午前中デイケアでリハビリに精を出す。ここでの時空間が僕の日常生活圏であり、世界なのだ。。 
 一、リハビリ関ヶ原。介護は依存しない心の格闘技だ。
 二、リハビリ空間の劇場化。フィクショナルな世界を再構築
   し、別の世界を生きる。
 僕は戦術として施設職員と被介護者の人間関係を、4駒漫画や時代劇、ファンタジー小説、『リハビリ瓦版』など、介護に笑いのスパイスを振り、合わせ鏡ならぬ、夢の中に夢を幾重にも重ね『夢あわせ』を実践している。人生の最後にすっきり夢から醒めるように。
 さて、八代亜紀の大好きな民子婆ちゃん(86歳)は、今日、別世界で自分の役を演じきれたろうか。そうであれば僕の眠りは深まる。『演歌を生きた女』――彼女のために思いきり笑える小説を書こう。第一章は〈岸壁の母〉で決まり。
 半信半疑ながら、僕のSDGsは止まることはない。負の身体性におびえながら、半信半疑であろうとも。寄りかかりすぎてはいけない、自分にも、他人にも、社会にも、トウモロコシにも。

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