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【エッセイ】感触と触覚を織りなし、知のその先へ


知よ、交差せよ

 ないものねだりを生きてきたように思う。手もとに残る書きものをめくれば一目瞭然。
 父さんが胸を患ったのち、自転車でアイスキャンディを売り歩いた昭和32年ころ、友達の投げた冷たい眼差しによる痛覚。夏休みの自由研究を忘れたとき教師が詰った、両親の怠慢。少年の涙は痛く痒い。心の薄皮をはがした。父が勤め先の金を使いこんだと、母さんはぼくの手をひき、大岡川の川べりを歩いた。運河の泥の匂いが鼻腔を疵つけた――。
 人が言葉を覚えるように、生得的に分かってきていた。「世界の内に」ある限り、ぼくはまるごと引き裂かれている。いや、ぼくだけでなく、大人にしろ、横浜のヘドロ漂う運河にしろ、町にしろ、ハゼのよく釣れた横浜港にしろ、道は大きくくねり貧困へ続いていた。誰しもが分かっていたはずなのに。
 関東大震災後、朝鮮人が流言の犠牲になったこと、科学文明は見落としによる巨大な事故を体験せずには高度な安全を実現できず、大規模言語モデルによる恣意的な〝言の葉拾い〟によるAIは、見た目の幸せとセットになった不幸せや悲しみを絶対に〝抱き合わせ〟提供しないとは言いきれまい。
 昭和12年(1937)7月7日、北京郊外盧溝橋での武力衝突以降、ぼくたちに、いったい何ができたのか。
 小学5年の時、文集に載った作文がある。校庭で故意ではないが、振られたバットがぼくの額を割り、3針縫った。手術に対応できず他の病院に回されるという、笑えないエピソードのおまけまで付いている。
 60年以上たった今も左目の上、あやうく失明しそうな位置にくっきりと縫い痕は残り眼窩の脇に痛みが潜んでいる。森羅万象、観念思想もことごとく信ずるに値しない。ぼくの身体の奧の何も置かれていない部屋の隅で涎を床に垂らしうずくまっているのはだれか。歴史も信じられない、科学文明も錬金術に過ぎないかも知れぬ。じっとたなごころを見つめると、老いた皮膚の奥底に、痛みの感触が縦に、触覚が横糸になり、強靭な布地が織られている。機織りの原動力になっているのは、祈り。
 お前は崖っぷちに立たされた亡霊だ、とぼくは宣告された。谷底は果てしなく深い。懸命に足を踏ん張る。でも足元は蕩けだし、知の作用は唾液みたいに断崖絶壁を垂れてゆく。感触と触覚が生きのいい五感を網に掬い、肩に担いで脳へて向け、ヨイコラショ、ヨイコラショと、よじ登ってくる。
 目指すは、知のその先ーー。


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