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【エッセイ】誤解の種を一つ一つ抓んでは口に含む


「このところ自然観察に出かけなくて、楽そうだね」
「暑すぎて、人が集まらないの」
妻の趣味は自然観察。指導員でもあり、月に二回は出かける。子どもや老人に教えるため勉強は欠かせない。
 レポート提出もある。パーキンソン病で動けない夫=私の世話さえも。『自分の時間なんて、これっぽっちもないわ』が口癖だ。
私は、うっかり口を滑らせた。「未来のためにできること、というSDGsに関わるエッセイをWebが募集している。千文字だから書けるかも」
「あんた、何もしてないし。独りじゃどこも行けないんだから無理」
 唇をへの字に結んだ。
 妻の目が輝いた。「いい機会だから、宿題出してあげる」
「冗談はよせよ」
「夫婦の未来のためにできること、にテーマを変えましょ」真顔である。「お互い七十越したし。老い先長くない。未来、あの世に行っても、また夫婦になって面倒見てほしかったら、それなりのことはしてもらわなくちゃ。さ、できることは何? これから半月、ノートにまとめてみてよ」
 ところてん並に掴みどころのない口調だ。
「例えばどんな風に」恐る恐る尋ねると、
「いい爺が何をおっしゃいます」と、はぐらかされた。仕方なく、あの世でお世話していただくための、この世でのご奉公あれこれを考えた。
結婚してから数年間、給料を家に入れず申し訳ございませんでした。毎晩深夜帰宅、すみません。家事も手伝わず、子どもとも遊ばず、海外旅行もエジプトの一回だけ。ご勘弁を――五十年に及ぶ『懺悔録』といったところ。さすがに女に関しては口を濁したが。退職以後、難病を患ってからの十年は、自身の排泄さえままならないから、妻におんぶに抱っこもやむを得まい。足を向けては眠れない罪の連続射撃に明け暮れた。でも敵は私を断固、容認しなかった。
「『ごめんなさい』のバーゲンセールだわ」目がつり上がった。柘榴を割った匂いがした。あんたには人への『ありがとう』の気持ちがまるでない。あの世で再婚どころの騒ぎじゃないわ」 
 気づくと、私は車椅子で砂浜にいた。波が騒がしく、掌で砂をすくった。小さな砂粒の隙間に、つぶれた金平糖の形で《誤解の種》が混じっている。おのれの誤謬に頭の芯がくらくらした。ひとつずつ抓みあげては口に含んだ。
 新たなご奉公も見つけねばならないのは分かっていた。が、謝罪と謝礼の間で、いつまで揺れていてよいのか、出来立ての種で何を育てるのか、見当もつかないのだった。


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