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【エッセイ】シルバーのお花畑



 リハビリ日和の気もちのよい初夏の朝、恵子さんの髪も浮かれて、ダンスをはじめました。光のセッションが素敵です。
 送迎車でデイケアについて、いちばんに飛びこんできた、微笑ましい光景。すっかり目が醒めました。
 わたしは〝ぴっかぴかの後期高齢者〟。そしてパーキンソン病発症後の早くも十年選手です。週に四日、午前中、デイケアでリハビリテーションに励んでいます。薬餌療法だけでなく、運動の継続が不可欠だからです。しかも、この病は、死には至りませんが、生涯快癒することもありません。〝こん畜生の肉団子〟みたいな野郎――と詰りたくもなります。
 病状の進行は日々、加速しています。起立・運動困難、筋肉固縮、便秘頻尿、錯視幻覚は三本立て見放題。運動障害だけでなく、妄想や錯乱が起こることもあるのが辛いところです。
 そんなわたしに「未来」という語彙は、長い間、禁句でした。明日はあっても未来なんて、まるで見えませんでした。ところがある日、脳梗塞の手術後の麻痺後遺症でリハビリに通っている恵子さんから、こんな話を伺ったのです。
「先日、別のデイサービスで二葉百合子の『岸壁の母』をカラオケで歌ったの。昭和29年のね。それで、はっと気づいたの。あたしの未来って〝今〟なのよね」頬のきれいな皺を柔らかくのばして、彼女が続けました。「子どもを産んで育てて、社会に巣立ちさせた。長くしんどい時間だったけれど、さみしくなるほど短くも感じる。少女の頃には想像もつかなかった、遠い未来、それがここ、いま」
 わたしは、眼からうろこの落ちる思いでした。喉が小さく鳴って、とっても大きな発見をしたのだと実感しました。
 そうなんだ、いま、生きているこの場所で見える景色を、奇をてらうことなく映せば、それでいいのだ。それが未来からのまなざしに違いない。
 ふと、リハビリテーション・スペース脇の休憩室に眼をやると、そこはいちめん色とりどりの花々が、おだやかに息づき、透けたベールに覆われている花畑でした。
 以後、わたしは朝いちばん、眼差しを喜ばせたり、驚かせたり、アホクサと思わせたりする光景を、似顔絵漫画や小噺にするようになりました。通所リハビリテーション《桜咲き》、体操が始まるまでの十五分。高齢のご婦人方のあじわい深いおしゃべりが、水辺に集う小鳥たちの可憐にも耳障りなさえずりのように流れるなか、ひとりの男が無心で鉛筆を走らせています。




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