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教育への希望と現実

【前回のあらすじ】
 ホテルでコーディネーターのジアウルラフマンさんから、彼の過去やマレーシアにおいてロヒンギャが直面している状況をうかがった後、マレー料理屋へ。手で食べるという彼らのスタイルを真似してみたところ、ジアウルさんも少し嬉しそうだった。食事を済ませた後、灼熱の道を歩きながらホテルに戻る。
 次の行き先は、ロヒンギャの子供が通うコミュニティスクール。難民の子供はどのような環境で学んでいるのか。先生たちはどのような思いで教壇に立っているのか。分からないことばかりの「未知の世界」を知りに、車に乗り込んだ。

 クアラルンプールにいた間、ジアウルさんを含めて8人で行動していたため、いつも2台の車に分かれていた。この時も例外ではなく、私はジアウルさんと後輩2人と同じ車にいた。あまり喋ることなく、黙々と車に揺られていた気がする。20分くらい乗っていたのだろうか。運転手さんが道路の端に車を寄せ、われわれは炎天下の世界に戻っていった。

 あたりを見渡すが、学校らしき建物はない。ジアウルさんがスマートフォンを片手に歩いていくので、後を追った。少し歩くと、大きめの建物があり、建物の前にはロヒンギャらしき青年がいた。ジアウルさんが彼に話しかける。ここのようだ。そのまま青年に連れられ建物の中に入っていこうとしたところ、大勢の子供を連れて恰幅の良い男性が出てきた。彼がこのコミュニティスクールの先生ということだった。どうやら、これから別の場所に移動するみたいだ。

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コミュニティスクールが持つ建物の一つ。キッチンや休憩室などがあった。

 わたしは姿勢を低くして、子供たちに「ハロー」と手を振る。不思議そうにこちらを見つめていたり、恥ずかしそうに手を振り返してくれたりした。マレーシアは多様な人種が暮らし、日本人と雰囲気が似ている華僑の人も多い。それでも、普段ロヒンギャコミュニティの中で生活をしている小さな子供達の目に映し出された我々は、宇宙人のようだったのかもしれない。ましてや私だ。人相があまりよろしくない。いま思い返すと、「怖がられなくて良かった」と少しホッとする。

 子供たちの後を付いていくと、車を降りた場所の近くに向かっているではないか。わたしが学校はここらへんには無さそうだと思った場所だ。4,5階建ての建物があって、みな階段を上っていく。扉の前には大量の靴が無造作に並んでいる。どうやら、子供達の教室はここのようだ。

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UNITED ARAKAN INSTITUTE MALAYSIAの看板の下に、子供たちのサンダルや靴が無造作に並んでいた。子供の無邪気さを感じさせられる。

 中に入るとホワイトボードがあって、椅子が並んでいる。中々スペースもあって、学ぶ環境は整っているように感じられた。奥に部屋がもう一つあって、先生に手招きをされる。大きな机が一つと椅子がいくつか並べてある。会議室のようだ。もう一台の車は遅れているようで、まだ着いたという連絡は無かった。先生が、「座りなよ」と言い、暑いだろうからとミネラルウォーターを配ってくれた。申し訳なさを感じながらも、有難く受け取らせていただいた。

 2020年東京オリンピック招致の際、「おもてなし」という言葉が流行った。まるで日本人の特権であるかのように、「おもてなし」はありとあらゆる所で語られてきた気がする。だが、本当にそうだろうか。わたしは、ありがたいことに今まで7か国を旅し、その数以上の国の人と関わってきた。いつも、誰かのhospitalityに助けられてきたと感じている。今回、難民として厳しい生活を送りながらも、私たちを歓迎してくれたロヒンギャの方々。「おもてなし」が日本人の専売特許だなんていう考えは幻想に過ぎないし、くだらないと私は思う。

 もし世界中の全ての人が、自らが偏見を持っている相手と邂逅する機会を得られたなら、ステレオタイプという、がんじがらめの糸が解けていくだろうに。ただ、残念ながら世界はそんなに単純じゃないらしい。ああ無常である。

 頂いた水をちびちびと飲んでいると、LINEの通知がきた。場所が分からないだろうと思い迎えに行ったのだが、他の先生達がメンバーを連れてきてくれていた。行く必要は無かったかと思いながら、合流して、建物に戻ろうとする。ふと見上げると、窓から子供達が手を振っていた。最初に会った子供達より、少し年長のようだ。暖かい歓迎を受けて、素直に嬉しい気持ちになったのを覚えている。

 全員揃ったところで、先生たちから学校運営について話をうかがった。

「この学校は3年前に設立したんだ。当時の生徒は10人ほど。それが、今では130人くらいいるんだ。5歳から16歳の子たちが通っているよ。」代表のウスタズサイードモハメドさんは、そう話を切り出した。

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UNITED ARAKAN INSTITUTE MALAYSIA代表のモハメドさん。自身も難民として厳しい立場に置かれながら、子供たちが学べる場所を作ろうとコミュニティスクールを設立した。

 UNHCRによると、マレーシアにロヒンギャは約10万人いる。ただ、これはUNHCRに登録されている人数である。UNHCRに登録されていないロヒンギャを含めると、20万人いるとも言われており、正確な数を把握することは難しい。問題なのは、ほとんどのロヒンギャの法的立場が非正規滞在者だということだ。中には不法移民として排斥をしようとする動きもある。この法的地位ゆえに、ロヒンギャの子供達はローカルの学校には通えない。だから、私たちが訪れたようなコミュニティスクールがNGOや有志によって運営されている。子供達に教育環境を与える最後の砦なのだ。

「私たちは高いクオリティの教育を提供できるように頑張っているんだ。目標は子供達を大学に行かせてあげることだね。毎年モチベーションをあげるために大学見学に連れて行っているんだよ。」

 ハッサン先生(仮名)が、熱く語った。(*この先生の本名と写真はプライバシーの観点から掲載しない。)いくつかの大学では難民への奨学金を設けていて、7科目による入試が行われている。大学進学者輩出を最終目標とするこの学校では、8科目の授業が行われているという。パソコンも10台ほど設置されていて、ExcelやWordも教えているそうだ。驚かれるかもしれないが、多くの人が、難民の子供が通う学校と聞いてイメージするよりも遥かに高い教育が行われているのだ。しかも、学費を取っていない。スクールバスが2台あって、それを使う子は、交通費として月に50リンギット(=1250円)を1人あたり払う必要があるそうだが、それ以外はタダだという。

 「その資金はどこから来ているのか?、誰が先生をしているのか?」と質問すると、

 「月あたり40000リンギット(=約99万円)が 学校運営にかかるんだが、協力してくれる個人が何人かいてファンドレイジングで成り立っている。ネットで募金も募っているんだ。先生はロヒンギャの先生がフルタイムで、マレー系、中華系の先生がパートタイムで働いているよ。あとは大学生がボランティアで教えてくれているんだ。」

 代表のモハメドさんは、そう答えた。 ただ、給料の支払いは必ずしも上手く行えていないという。

「時々、先生たちに給料を予定通り払えずに遅れてしまうことがあるんだ。でも、先生たちもそれを理解してくれているよ。」

とモハメドさんが言うと、他の先生たちが大きく頷いた。

 話はいったんここらへんにして、授業を見ていくかいと言っていただき、見学させてもらうことになった。小学校高学年か中学生くらいの少年たちが、英語でcontinent(大陸)に関する質問をされて「Eurasia continent」だとか、スラスラ答えていた。先生は大学生のようだ。恥ずかしながら、わたしがcontinentという単語を覚えたのは高校生だった気がする。その一方で、ロヒンギャの子供は幼いながらに母語であるロヒンギャ語(ベンガル語のチッタゴン方言)、英語、マレー語を勉強しているのだ。しかも目がキラキラしている。感服である。

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大学生ボランティアから英語を習う子供たち。目つきは真剣そのもの。

  だが、どんなに勉強を頑張っても外の世界では高いハードルが待ち受けている。まだ、この学校から大学進学者は出ていないし、卒業後、多くの生徒たちは建設現場やレストランで働いているという。法的な立場が曖昧な彼、彼女らを待ち受けているのは、過酷な労働環境と低賃金なのだ。

 授業をいくつか見学させていただいた後、外に出て、最初に入ろうとした建物に向かう。いくつかの部屋があり、そのうちの1つはキッチンだった。大きな炊飯器がある。聞くと、食事まで提供されているという。他の部屋には毛布が数枚あり、なんと住み込みの子供もいるようだ。そこまでするのかと、先生たちの熱意に脱帽した。教育で子供達の未来が変わるのだと信じていた。自分のスキルアップのために、アメリカの大学が提供しているオンラインコースを履修している先生もいた。

 こんなにも子供の将来を思い、全てを捧げている人たちがいるにもかかわらず、世の中は、岩石のようにビクともしない。ただ、それは「部外者」であるわたしたちの責任なのかもしれない。教室の壁に貼られていたUNHCRのステッカーが私の脳裏から離れない。

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学校の壁に貼られていたステッカー。この学校はUNHCRに公認されているが、それによる金銭的な支援はない。「役割が違うからね」と先生たちは言っていた。

「Refugees. Who cares. I do(誰が難民など気にするか。私だ。)」

 ここでいう、「I」はUNHCRのことだろう。立派なスローガンだ。でも、この「I」がUNHCRだけを指す限り、世界は何も変わらないままになってしまう。 わたしたちが部外者から「I」に変わらない限り、この世界はちっとも「マシ」にすらなっていかないのだと思う。

 わたしたちを暖かく迎え入れ、教育にかける熱い想い、ロヒンギャの子供が直面している問題を語ってくれた先生たち。「部外者」である私たちに貴重な時間を割いてくれたのは、わたしたちに「I」になって欲しいからであり、その輪を広げてくれると期待していたからに違いない。

 最初に学校はここにはなさそうだと思った建物の前で、集合写真を撮る。そこには、確かに学び舎があった。

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教室がある建物前での一枚。(プライバシー保護の観点から一部モザイクをかけている。)

 ホテルへ向かう帰りの車の中で、「いままで見た中でも、一番良い教育が行われている学校だったよ。」とジアウルさんは言った。

 他の学校では、全く教育という教育が行えていないのかもしれない。全てを知ることなど不可能だが、できるだけ多くの現場に足を運ばなければならないのだと思う。今回は見えてこなかった別の問題が、他の学校を訪れることで浮き彫りになるだろう。決して一つの場所を見たくらいで、分かった気になってはならないのだ。

 ホテルに着くと、どっと疲れを感じた。あまりにも濃密な話を、脳が上手く消化できていないようだった。翌日もまたこうなるのだろう。怠惰な私は、どうせ友人が起こしてくれるだろうと思い、アラームもかけずに眠りについた。

執筆・写真|鳥尾祐太
編集 |無国籍ネットワークユース


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UNHCR マレーシアのホームページ。ロヒンギャの人数など、マレーシアで暮らす難民の情報がまとめられている。

無国籍ネットワークユースとは

無国籍ネットワークユースとは2014年に早稲田大学の学生を中心に結成された団体。無国籍者が希望を持てる社会作りに向けて、多くの人々に無国籍について知ってもらうことを目指し、活動を行っている。2018年から、NPO法人無国籍ネットワークとの共催で、巡回写真展「われわれは無国籍にされた-国境のロヒンギャ-(狩新那生助氏・新畑克也氏)」を早稲田大学、館林市(在日ロヒンギャコミュニティがある)、東京大学で開催。また2019年12月には「US~学生が見たロヒンギャ~(城内ジョースケ氏・鶴颯人氏)」を主催(NPO法人無国籍ネットワーク共催)。ビルマ近現代史研究者の根本敬教授(上智大学)、在日ロヒンギャ協会のゾーミントゥ氏による講演会も行った。また、勉強会やフィールドワーク(マレーシア・サバ州の無国籍コミュニティ、クアラルンプールのロヒンギャコミュニティ訪問など)を通して、自らの無国籍問題への認識を高めることに努めている。大学(院)・学年問わずメンバー募集中。

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