つべこべ言わずに書くのよ
って、何回言ってもらっても忘れるんだからね
2023/11/19
1年ぶりに逆卷亭に遊びに行った日記
1年前 2022年の秋、
突然、「古本つかみどり大会」のおふれが出た
新居に移るにあたって処分予定の膨大な蔵書を
好きなだけ持って行っていい、との呼びかけに釣られて、
ひとり電車に揺られ、戸畑まで出かけた
車窓から、旺盛に伸び広がる葛の緑をずっと眺めていた
「鍵はかけてないから、勝手に入って、
勝手に取って行っていいっすよ」
そう聞いてはいたものの、
いざ当日、知らない扉の前に立つと
流石に不安になってきた
部屋、間違えてたらどうしよう
変な人が中にいたらどうしよう
びくつきつつも、もしものことがあったら
いつでもぶん殴れる用意だけは整えて、
恐る恐る、扉を開けた
窓際に、知っている人がいた
瀀さんが長い手脚を伸ばして、ゆったり座っていた
逆光で、顔の部分が黒く、陰になっていた
木のようだった
ぎこちなく挨拶をした
お互いにその頃は、毎日のように絵を描いていた
絵や本や音楽の話を、DMで話していたが、
実際に会うのは2度目だった
ぽつぽつと話をしながら、本を選んだ
声が上擦らないように気をつけながらも、
変な汗がずっと出ていた
言葉はたくさん身体の中に溢れてやまないのに、
ひとつも選べない沈黙が、もどかしかった
1時間ほど経った頃に、
突然、玄関の方から大きな物音がして扉が開いた
たまたま旧居の様子を見にきた大野さんだった
風が一気に流れ込んで、
なにかが動いたのを肌で感じた
大野さんからお誘いをいただいて、
いいのかな、と思いながらも、新居にお邪魔して、
いいのかな、と思いながらも、近くの美味しい居酒屋で晩ご飯をご馳走になり、
さらに厚かましくも一晩泊めていただいて、
次の日は夕方まで居座らせていただいた
帰りに、喫茶シャルムという老舗に寄って、
本でいっぱいのキャリーケースをごとごと引いて、
瀀さんとふたり、電車で帰った
瀀さんの駅の方が近くて、先に降りた
これ貸します、と手渡された詩集を、
一人分空いた座席で、ずっと眺めていた
かけがえのない記憶である
それから1年ほど経つ
私と瀀さんはまた、逆巻亭にお邪魔することになった
新居だった場所が、1年で、
すっかりおふたりの住まいになっていた
心臓破りの坂、と名高い、傾斜の中腹にある一軒家
眺めが抜群に良く、どの窓からも遠くまで見通せる
随所にある大きい窓から差し込む秋の光
木々の葉の色が変わらずあざやかだった
北九州の空
遠くの煙突
煙草用にいつも開けてある出窓の、
網戸から吹き込む風は、澄んでいた
荷物はここに、と通していただいた部屋で、
初めて訪れた日のように、
しばらく瀀さんと窓の外を眺めた
あの木の名前は、と教えてくれた
1年前の横顔を思い出した
木の名前は忘れたけれど、
へえ、と何気ない感じで言いながら、
ぎゅっと掴んでいた、
あの日の自分の服の裾の感触を、指先が覚えている
今年の春から、私は一人暮らしを始めた
瀀さんも、大学院の頃から住んでいた暗い部屋を出て、
この秋、新しい部屋を見つけた
1年前に逆巻亭を訪れたとき、
おふたりの暮らしをそこに見て、
私も自分の暮らしをつくってみたい、と思ったのだった
二度目の訪問
おうちで晩ご飯をどうぞ、と伺っていた
到着して、すぐに案内されたこたつには、
山盛りのサラダ、ものすごい刺し盛り、煮物、おでん、
ワインが赤白それぞれ、ビール、焼酎...
目の眩むようなご馳走だった
何よりもそのご厚意が嬉しく、
そしてどれもため息の出るほど美味しかった
遠慮しないで食べてね、と大野さんからにこにこ言っていただき、
少しは遠慮した方がいいかもしれないと思いつつも、
思い返せばちょっと恥ずかしい位には遠慮なく、沢山いただいてしまった
食後は大野さんがコーヒーまで淹れてくださり、
私が持って行ったタルトを、4人で食べた
文章を書くことについての相談をした
「前作のzineで燃え尽きてしまって
褒めていただいた体験に
いつまでもとらわれてしまって、
次のzineを出せる気がしなくて
絵を描くのは楽しかったんですけど、
褒められたい気持ちが絵にも付き纏って、
楽しくなくなってきたことに気づいてやめてしまったんです
自分が嫌になりますね ははは...」
ははは...(ださすぎる...)
私は昔から、大野さんを前にしたら驚くほどに本音が出てくる
初対面の時からそうだった
溶岩のようにどろどろと流れ出す本音のとめどなさに、
甘えているな、と思った
「書いた方がいいっすよ どんどん
あなたみたいに、書かないと生きられないひとは」
逆卷さんが、さらっと言った
「書かないと生きられないひと」
その言葉に、その場の誰も、異を唱えない
そんな大層なものじゃありません、と思いながらも、
言えなかった
書かないと生きられないひと、という前提で、
どんどん話が進むのが、ふしぎだった
私は、書かないと生きられないのか
そう、見えているのか
そっか
そうなのか
そうなのかもしれない、と初めて思った
書けなさに、書きたさに、
いつもつまづくのは、
自分に対して期待しすぎているからだ
「書かないと生きられないひと」
そんな大層なものではありません、と反射で思うのは、
書くことが自分にとって大層なことだからで
それはつまり、大層なものを書こうとしているからで
大層なものを書かなければという気負いから、
いつまでもいつまでも逃れられない
恥ずかしさだった
褒められなければ価値がない、と、
まだ私はずっと思い込んでいるのだった
「評価されることと、それの良し悪しは全く関係のないことですよ
評価はデザートだと思っておけばいいんすよ」
レアチーズとブルーベリーのタルトをフォークで大きく切り分けて口へ運びながら、
逆卷さんがさらに言った
「ほんの数行のために、何万字、書くこともあります」
「何万字を費やして掴む、"おもしろい"、の部分
これを書くために、そのたった数行に辿りつくまでに、
何万文字も費やしたのだと思える、たった数行
それさえ書けたら、後は忘れて次に行くんすよ」
それで思い出した
前作のzineを書き終えた瞬間、
ふと、なにかを掴んだ感触があった
ああ、これを書きたかったのだ、と、
ひとり密かに思ったことがあった
その後、庭文庫の百瀬さんご夫妻をはじめ、
zineの届いた先で身に余るお褒めの言葉を
幾度となくいただいたにもかかわらず、
いただいた言葉を励みにするまで至らず、
ただ、幾度となく読み返しては嬉しくなり、満足し、
怠惰な私はひたすらそれに胡座をかいて天狗になり、
受け取れたつもりでどんどん忘れ、
また自信を無くしては勝手にいじけて、
そして、確かに掴んだ、書きたかったなにかのことも、
今日まで忘れていた
27歳
まだ吹けば飛ぶほど短い生涯だが、
20代後半に入ってから、格段に生きやすくなった
生きてきて今がいちばん幸福だと言い切れると思う
でも満たされることを知らない私は、
すぐにそれを忘れて、不平を言い始める
幼い頃の私は、手元に美味しいものがあっても、
それを頬張りながらもう、目を動かして、
次の美味しいものを探しているような子供だった
なにも変わっていない
身に余るほどいただいたものに、
ありがとうございます、と言いながら
その瞬間から、卑しくも目移りして、
横目で隣を盗み見ては嫉妬して、
誰にも顔向けのできない有様になる
そんな私の強欲は、
たった1冊、zineを出した程度では治らず、
むしろひどくなっているようにも思えた
苦しかったことばかりを、
書いて、書いて、書いてきた
私がいまだに私自身を幸せだと認められないのは、
幸せになってはいけないと思い込んでいるからだ
幸せになったら終わってしまう
まだ許せない
許したくない
幸せになどなってやらない
まだ成仏しない
21歳の自分が、わめき続けているのだ
不幸自慢と言われようが、
被害者面と言われようが、
やばい女と思われようが、
とにかく書いて、書いて、昇華したかった
そうやって、今いる場所から過去に刃を突き立ててきた
あらゆる痛みと、あらゆる安寧と引き換えにして、
ようやく掴んだこの幸福を、守りたかった
その過程で、
あなたを、
あなたを、
あなたを、
あなたを、
あなたを、
あなたを食べて、
生きてきた
相変わらず過去の苦しさばかり書いてしまうのは、
書かなくなったら負けだと、どこかで思っているからだろう
この頃の私は、今よりもっと腹を減らしていたと思う
おもしろい!を探して、
毎朝毎晩、ふらふらと考えなしに、
映画館を、本屋を、路地をうろついていた
常に腹を減らして、知に飢えて、金はなくて
街を食い荒らすように、何かを探していた
逆巻さんにお会いして、もう6年ほど経つ
「当時の世菜さんってどんな子だった?」という大野さんの問いに、
「よくいる、素直そうな学生だった」と答えた逆卷さんの目に、
いまの私はどう映っているのだろう、と思った
哲学者である宮野真生子さんが2019年にご逝去されたとき、
喪のプロセスに"巻き込"まれた私は、
周囲から「宮野さんに似ているね」
と、言っていただくことが何度かあった
私自身も、それを内面化しつつあった
もっとあけすけに言えば、
宮野さんの分まで生きなければいけない、
何かを受け継がなくてはいけない、
と、背負うような気持ちがあった
それが、宮野さんという一人の人間のかけがえのない生を
そのままに引き受けることから逃げ、
私自身を直視することからも逃げることだと、
22歳の当時の私は、気づいていなかった
逆卷さんからメールをいただいたのは、
宮野さんの論文を読むイベントの予約の返信だった
最後の方に、ついでのように書き添えられていた
「松元さんは他の誰でもない松元さんの人生を生きるべきです。」
「みやのの代わりは誰にもできないので、
みやの以外の人を、可能な限りたくさんの人やモノを頼ってほしい。」
頭から水を浴びたような感覚を憶えている
当時、宮野さんの遺した文章や、
生涯をかけて追求されたテーマであった「偶然性」についての哲学書だけを
貪るように読んでいた私は、
それから程なくして少しずつ、
哲学以外の本も手に取れるようになっていったのだった
その夜は、明け方まで合宿にもつれこんだ
現代魔女の円香さんと逆卷さんの『サイボーグ魔女宣言』
トークイベントを第二回から見せていただいた
当時オンラインで購入していたのに、
ついに見る時間を取ることができなかったから、嬉しかった
見ながらメモをとって、時々本を読んだ
3時頃に限界が来た瀀さんが寝室に行って
大野さんは、こたつでうとうとしていて
大野さんの隣の逆卷さんは寝てるのか起きてるのか分からないけれど、
時々、トークに笑っていたから、起きていたんじゃないかと思う
途中、私一人が起きている時間があって、
歯磨きをしていたら突然吐き気がきて、
トイレに駆け込んでめちゃくちゃ胃液を吐いた
赤ワインと白ワインと焼酎のちゃんぽんが効いたようだった
胃液と空気しか出てこなかったが、
一度吐いたらすっきりして、何だか笑い出したくなった
そのままPCの前に戻った
時計の針は、5時を差していた
普段22時就寝を誇る私は、流石に限界だった
とうとう眠り込んだ逆卷さんを起こすかどうか、
回らない頭で逡巡した挙句、
こたつにそのまま残して(ごめんなさい)、
用意していただいていた来客用の布団に潜り込んで眠った
起きたら、お昼の12時半だった
夕方、16時頃においとました
お礼を述べると、押井守のトークの動画を見ていた逆卷さんが、
画面を見たまま、「は〜い」と後ろ手に手を振ってくれた
そのあっけなさが、うれしかった
買い物のついで、と見送ってくださった大野さんと坂の下で別れ、
瀀さんと、戸畑駅までゆっくり歩いた
何匹もの野良猫とすれ違った
喫茶シャルムに、1年ぶりに寄った
1年前と同じ席に座る
コーヒーフロートを頼む
サービス、とラスクが出てきた
さらにサービス、とバナナジュースが出てきた
今日だけね、とママが笑っていた
厨房の奥から、マスターも手を振っていた
美味しくて、楽しくて、
お腹も心もいっぱいで、
流石に疲れもあり、電車では眠り込んだ
1年前は別々に降りた電車を、今回は一緒に降りた
家で玉子スープを作って、カップ焼きそばと一緒に食べた
あれほどのご馳走をいただいた次の日に、
一食200円くらいの夕飯を食べていることが、
それもまた美味いと思えることが、おもしろかった
いい週末だった
随分と長く家を空けたような気がした
性被害のこと以外も、
もっと、書けるようになりたいと思う
子どもの頃のこと
生活のこと
好きなお店のこと
憧れのこと
大切な友人のこと
大好きな大人たちのこと
けろちゃんのこと
母や、父のこと
瀀さんのこと
きれいに完結させなくていい
誰かの、何かのためでなくていい
いいね、がひとつもつかなくていい
私が書き続けてきた過去の傷については、
いつか全部どうでもよくなるかもしれないし、
もうとっくに、どうでもいいのかもしれない
決める必要もなかった
すばらしくなくていい
ととのわない、生でいい
書かないと生きられないなら、
生きるように、書けばいいはずだった
この心臓が止まるまで、書き続けよう
他の誰でもない、
誰に顔向けもできないような、私自身のことを
ふと、そう思った
書けなければ、描く
描けなければ、書く
どちらもできない時は、歩けばよかった
苦しいとき、何もできないときも、
思えばいつだって私の足はよく動いた
おもしろいものを探して
意味も、あてもなく、彷徨うことを
最近、やってなかったな
なんだか無性に、
出逢った頃のように、
また、瀀さんと何時間でも歩いてみたかった
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