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Spirituarismと、 Animizmの根源にある関係性-creatorとcreature.この愛ある図式。

こんにちは。

以前・twitterアカウントで、「symbolic-reflection」と言う言葉を創って載せて

見た事がありました。

-これは、何なのか---- ?-

と言うと、、、

『象徴的世界における、”自己”⇆”他・世界”の『水掛け論』的-対応と反応の応酬の一連のフロー』の事です。

で、何でこんな事が目に映る様になったのかな---?と、ふと思い立ち、探ってみる事にしました。

-幼い頃から-サイキック的な能力があったのですが、ある時。神社通いをする様になってから、尚更・その能力が開花した感がありました。

ある、”神社と言う『龍脈』の『龍・経穴-enrgy point-』の中継点や発・受信point”と言う場所として---とても・重要な-場所に何故か-ふらりと行ってしまった後から、こう言った「象徴夢」的世界観に鋭く敏感になる様になりました。

「夢」-levelの不思議な事が多く目に散見される様になります。

-その皮切りになったあるキー・パーソンに市街地でお世話になる事が多々。だったのですが-その女性が元々住んでいて、活動拠点にしていた場所と、彼女の東京の母親が移住した場所も---「奇しくも」、その-重要なpoint-がある場所でした。

で、頭おかしくなったかな。と思い、精神科に通院を進められたのをきっかけに、服薬を開始しますが、長期間飲み続けても-その症状が好転することはなく、

自宅で眠っている間にも-とてつもなく恐ろしい-visions-を見続けることしばしばでした。

次第にストレスが臨界点を超えたのでしょう。自宅でも段々と生活が破綻していく様になりました。

何しろ!自分ではこの感情的・精神的不均衡をうまくバランス出来ない---

と言う、-症状(?)- の特徴がありました。

で、最終的には-どうやら”コレ”は、out-of-control〜コントロールの外にあること〜だ。。。-と気づき始め、そこから一気に物事が好転し始めていました。

薬は飲むし、漢方薬・バッチフラワーレメディー・ヒーリングメソッド・ヨガ・はたまた禊祓いなどなど----

手当たり次第に試して見て、全部行いましたが="無理=out-of-low(理法が存在しない!)"と、気づく様になり、そこから・だいぶ・楽になる---そんな結論と結果を得たのです。

で、そこにある”象徴的世界観=階層の高いレベルの世界観”について、まとめた事を2〜3、お伝えします。

(1).先ずは、去年の5月ぐらいからの事です。と言う話から~

この変な世界観へのtime-leep的移動後の人生の中で気付いたのが、

-これは、『ある・宗教団体との関わり』からの~と言うstart-pointがあったのでは?と、疑い続けていましたが、どうも”それっぽく”無い-

で、5月・何をしていたかな---?と、思い出すと、やはり、ある地域の寂れた神社へ無性に通い続けていた事実が見えてきます。

(”ソコ”は、「お稲荷さん」が祀られているのに-町の『誰一人』赴かない。寂れた神社です。)

で、ソコで、祈っている時に知り合いから連絡-『スケボー少年が全国行脚してて、知り合った!その人に会いに来ない!??』と。

行ってみると、「インコ」みたいなつまり、「鳥そっくりの少年」がいました。

話していると、すごく「自然体」です。でも、面白みがなく、その場所を後にした後、やたら「疲れました」。

その頃から、一気に世界観がチェンジします。で、その頃から、変な錯乱状態が続く様になります。

(フツーにやっている事のつもりなのに?何故か?的を得ない…)

『無力感』が臨界点を迎えながらも、続けますが、どうしても、周りの”人”達には伝わらない---。しかも、何かを贈り物したら、”恩を仇で返される”事。しばしば----。

で、「拒絶が・一番・痛い体験だ」と、「pain-scale」=「痛みの感覚の指標」の中で語られているのを見た「瞬間」に!普通に存在していた「拒絶」が、更に痛みを強くし、錯乱はもっと酷くなり、更に言うと、象徴夢的な-つまり、spiritualであり、しかもsyncronicity的な---現象という現象が、これ以上ないくらい。目に映る様になって行きました。

(この時・早めに気づくべきだったのは、PCや書籍など-記録-にまつわる全てを”鵜呑み”にしない。と言う大切な勧告や・警戒のシグナル(内面から来る)でした。=何故ならば、この象徴夢が、私の脳の状態に起因するものでは無いとしたなら---と、考え・察知した場合。明らかに意識が良く無い場所(cloud)に置かれています。という事は、、、『偶然・たまたま』の中にある-恩恵的・出会い-の全ても、酸性雨の雲から降ってきた雨の様なもので、誰にとっても-勿論。私にとっても。有害でしかない。と気づくべきだった。という事です。)

---その後、『お稲荷さんにまつわる-暗い事実-」これが、よくよく目に映る様に、netの情報から浮き彫りになっていくのを散見する様になります----

(2).その後よく見たのが、「神社の境内の木という木が、必要以上に伐採され始めている」と言う現象的・事実でした。

で、よく散見したのが、「切り株の上に、祠の屋根の様な陶器のオブジェが必ず置いてある」と言う場の状態。

近くの神社の境内ですらそうなのですが、その鳥居の目前にある田畑は盛り土の場となり、見ていると『石や岩石』を、根こそぎ掘り出しています-土台を作る上では当然ですが、その後盛り土からの〜と言う展開が一切進んでいません。

(3).最初に書いた”重要なpoint”に鎮座する神様が誰なのか?が、一番の重要な問題点でした。

その後、あまりにも奇跡的な一致をみるにつけ、どうも、この一連の流れの”怪しさ”の正体が、薄曇りの霧を跳ね除ける-と言うよりも。(晴れていく様に--)その実体が見えてくる様になりました---

そこの神様の名前は敢えて記しません。ですが、”自然神(animizm-spiritual-god)”そのものの名前が、鎮座されている神様の名前の中に「崇神」として記されています。

(1).(2).(3)...

これらにより、得られた深い気づきとは---以下の様な事です。(赤裸々に。歯に絹着せず。お伝えします。)

・まず、『自然神』とは?なんなのか?と言う説明からです。

第一に『磐座=石・岩石』である。と言えますし、

『大木』・『山林』・『山岳』・『森林』----

そして、『泉』・『川』。。。と。

そもそも、縄文人達と言う、日本の『歴史』と言う指標からすると、より・根本的な血脈の人たちは、その後南アメリカ・北アメリカの先住民として、「海民の移住」の結果伝播した縄文人の歴史を紐解いて見ても-「animizm-sharmanizm」と呼ばれる、「大自然崇拝」が、何よりの、「神性の所在」でした。

その後、そこに「文字・概念」が日本へと押し寄せます。

途端に、「大自然」は、「擬人化」され、その「深い神性」を失います。

※「偶像化」が進んでしまったのです。(奇しくも、こう言った「偶像崇拝」の英語を和製的に捉え、取り入れた言葉が、日本語の-「アイドル(idol)』です。

→そこで、前記をおさらいします。

・岩石・石が、神社の境内の前の「稲作地帯」の跡地からゴロゴロ掘り出されています。

・spiritual傾向に走り、緊張度が高まり・過敏になったきっかけは、いつの時も。あの「山々の連なりの場」に関係する事により。もたらされました。

・その後、その場を拠点とした女性から伝えられて神社に足を連ねた日々。その神社とは、「川の淀みを流す神様」が、実際には-主神-でした。

・「山々の連なり」の中にあるその”重要-龍脈point”は、日本で「最古」の-「自然神の最たる存在」の祀りの始祖である。と知りました。その場所には、主神の形代という形で、「巨木」が社の後ろに鎮座。社の裏に、本殿があるのに、全く気づかず、拝殿できませんでした。そして、実際には。その左手の崖にある「巨岩壁」こそが、『主神』の形代である。と知りました。そこには、「犬」の様な「狐」の彫刻がなされています。

・ある神社。と書いた、「水の神社」では、副殿が、最もpowerがある印象。その神様は、『主神』として知られている神様の別名の1柱が納められています。その神様の社の前には木彫りの龍がありましたが、1フェーズ終わった後に行ってみると、「青銅製の龍」の像が、御神体の扉の「右手」になぜか・突然。ポツンと置かれていました。

・ある宗教団体の人々は「寿ぎ(ことほぎ)=言葉の力』を操り、過去の凄惨な歴史を抹消しようとする団体でした。(その概念の根幹にあるのは、web-siteと言うシステムと、そこに記される-coding-を、現実世界に当てはめる。と言う方法論でう。)

-----で、最も・根幹にあるものをお伝えします。

何か?と言うと----

そもそも、キリスト教では-「言葉から宇宙は始まった」とされていますが、

「言葉とは何なのか?」です。

感じをバラバラにして見ましょう。

「言の葉」ですね。

「伝える」「葉っぱ」→「葉っぱが主体」です。

(恐らく、紙のない時代に「葉っぱ」に、「伝言を記し」-伝えた歴史があるのでしょう。)

「紙という人工のものではないもの」-これが、

「伝書」即ち-「information(インプット)⇆「impression(アウトプット)=コミュニケーションと言語全体とそれそのもの」の原義です。とまとめられます。

すると、見えてくるものとは----

言語が宇宙の始まり。である。と記される理由。それは---

「自然法則こそが、理法であり、logosの正体である。」と言う事実です。

つまり、「言祝ぎ(ことほぎ)」とは、

自然神の祀り。と言う神社神道の原義から・全く、外れていない。と言う事実がそこにはあります。

結果、「言葉の力」とは、「葉っぱの葉脈の流れそのもの」であり、「人工のもの」の裏には、「広大で無尽蔵のエネルギー場」である。「大自然」が、どっかりと居座っています。)-人がいかに力を振るおうと、大自然の前には、その濁流の様な巨大な潮流の力の前に「ひれ伏す」しか、有りません。-試しに、深い山奥に無装備で入って見ましょう。恐らく、水が湧いていなければ干からびますし、実が実っていたり、動植物を殺すと言ってもそもそも植生していたり、目の前に顕れて『くれな』ければ、人がどういきがっても、誰も助けてもらえません。

で、散々。目にしてきた-自然の破壊-その上に置いてある-人工物の配置と誇示-

この象徴物のcodeを読み解いてわかったのは---

「自然の破壊ですら-人間=自然に操られる存在で”しか”ないもの-を通して、自然が見せている・もしくは魅せている現象でしかない」

つまり---自然破壊などと言って、人vs自然。みたいな偏見を広げようとしまいと、全部自然の理法のcontroll下にあるのであって、それこそが、「高次の情報網=high-levelized-web-world」で有り、誰一人として、地球はおろか、そこに住む動物も、人間も、「犯してはいない」と言う事実”しか”無い。と言う事です。

すると、「人との繋がり」の中にあった「ご縁-ヨスガ-」。

ここから”導かれた-全て”。これもまた---

「自然神からのcallingで有り、呼び声であった」そう言う事実が見えてきます。

その山々の連なりには、「ダム」と言う形での、自然への冒涜がありました。

そこが痛々しいな。と思いつつ、ある冬にそのダムに行くと、チョロチョロと、水の綺麗な響きが漂っています。

(ダムだ。と言う偏見を抜けば、「確かに・自然現象としての輝き」はそこにありました。)

そして、社。と言う言葉の裏には必ず(位置的にも)「磐座」が存在していますが、

「水の神社」の裏の「磐座」は、大きな岩壁です。見ると、「龍が渦巻いて、トグロを巻いている」様な、承継の様な「筋」が造形を形作っていて、それもまことしやかに伝えられています。

---が、それを伝えてくれた男性は、その後疎遠になり、その後、ある高台にある神社でイベントを開く様になりました。-その神社の末裔の名字が、その「水の神社」の宮司の血脈の姓と一致しています----

そして、その男性は「性的な表現」に歯に絹着せない人でした。そんなところがいいよね。と、みんなに好かれているし、沿岸の地域のドンの様な人でした。

ですが、これもまた「解釈=言の葉」でしかなく、よくよく見て見ないと、岩壁に龍がトグロを巻いている。と言う感じがしません---

しかし、「解釈」もまた言の「葉」ですから、人間の思考も、分岐に分岐を重ねた上で、「自然神から託されたもの」です。

従って、副殿の「水を浄化する神」を、またの表現で「龍」と呼ぶ。

この「自然神」⇆「龍(と言う、偶像)」の水掛け論は、、、

結局の所。「萬の御霊と同根-の存在からの分岐-」と言う意味で---

「二元化出来ない」し、「二元化は不可能」となり、たちどころに、ストップ・モーションの渦にまきこまれてしまい。THE- ENDです。。。

何が言いたいかお判りでしょうか???

「自然・人間問わず」-阿鼻叫喚でしかない・弱肉強食の世界にあって---

「お互いがお互い。支え合っていない存在は皆無であり--」

引いては-「全く一つのいのち」として、必ず幸福に導かれる為”だけ”に、全ての活動と循環は起きている。

この”根底にある”「矢印のベクトル」。これこそ、が

古代ギリシアの教えの中枢である-「宇宙の善」の向きの力なのです。

「宇宙の善」とは?いかなるものでしょうか?

「善」とは、「規律正しく・人を思う」と言う、日本語的側面の更に裏にある。もっと巨大な概念です。

---即ち。「宇宙をより良くすると言う意図そのもの」である。と言う事。

従って、仏教で言うところの「忘機-sysmaticな全てを忘れたところにある・二元心の忘却-」これこそが、「宇宙の善」の源の「情念的・慈悲」と言う世界の理法の根本である。と言う事実が浮かび上がってくるのです。

で、最終的に何が言いたいかと言うと、、、

「あなたも自然神であり」、「私も自然神であり」、

「私も偶像神であり」、「あなたも偶像神である」。

つまり、どの様な行いにも、どの様な有様にも、

人も、もちろん大自然も、批判すると言うこと(で終わる)ことはあり得ないのであり、その背景には、「お互いを抜かりなく・余すところなく」生かし、活かす。

そんな「善の糸の矢」の飛んだ先にある「幸福」しか、

どの存在も、何人も。想定してはいない。と言う事です。

従って、この世の闇とは、「光のスケール」である。と言う事実は、ここに結実します。

つまり、「闇が深ければ深いほど-darkな色合いの/光彩」つまり、、、

「光の色合い」つまり、「光そのもの」であり、それを消そうとする存在は、宇宙にも・地球にも。存在していない。と言う事です。

散々錯乱し、闘い続け、疲労し、休み。周りのcallingに対応し、反応し。。。

と、続けていますが、周りの全ての人(『だけでなく』私)『も』。

その先に「一定の安寧と・永続的な弛緩とリラックスがある。」つまり、、、

「攻撃的”にしか”見えない全ての裏には---その本人が意識・無意識問わず。」

必ず「地球の住民としての同族を、決して殺さない。生かして見せる」と言う。

親心にも似た愛情”しか”存在していないのです。

『対立軸』とは、そもそも、『存在していない』。ただそれだけの事を、

「潜在意識下の「象徴夢」の様なFantasyの中に入りこま”された”(周りの全てが結託・協力して-導いて”くれ”た。お蔭で。)事により、

”symbolized-dimension-code”の読み取りは、一旦。

1フェーズを終える事が出来ました。

いかがでしたでしょうか?

脳の混乱は一旦。収まりました。

もっと書き連ねたいことも、リークしたい情報も多々ありますが、

今回はココで一旦・終わりにしたいと思います。

ありがとうございました(^^)。


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