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自分のことくらいは

語学学校で新しい言語を学ぶ中で、様々な先生から”教える” "教わる"ということを学びました。

色んな言語レベルの段階で、先生それぞれのアプローチも違いますし、獲得させたい要素やクラス内でのダイナミクスの作り方、言語に対する向き合い方を見てきました。

僕はスポーツのコーチとして、教育の分野を無視できないからこそ、生徒という立場でそういうところに注目していたんだと思います。

その中で、今でも常に頭の中を渦巻いているのは、まだ基礎の文法を学んでいるクラスの時にふと先生が言った一言。

「相手が何を言っているのかどうかはまだ難しいから、そこまで気にしなくていい。だけどね?せめて自分が何を伝えたいのか、何を言っているのかを、自分はちゃんと理解して話せるようになろう!」

めちゃめちゃ当たり前なことだと思うんですけど、これが今でも響いています。

相手に何かを伝える時に、例えば人から借りた言葉とかどこかで読んだ本の内容とか聞いた話をそのまま丸々伝言ゲームしてたりとか、みんながこう言ってるからそのまま自分の意見にしてみるなんていうことないですか?

要するに、何か話す時に自分の言葉としての感覚がまだない状態。

確かに自分のことは鏡や写真など反射して写ったもの出ない限り、実態を見ることはできないように、自分を知ることってとても難しいです。

だから、少しずつ感じたことを言葉にしてあげることで、ぼんやり感じた想いが形になっていくと思います。

自分の頭で良い悪い、好き嫌いって思ったことには素直に反応して、口にしてあげる、もしくは文字に記す。

僕は、私は、こう思っているんだよ、とその想いだけには100%嘘をつかずに、自分はちゃんと理解して置くことで様々なコミュニケーションが取れるんだと思います。


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