【SNS】自他の境界が曖昧な人が目につきやすい

SNSで、自他の境界線が曖昧な人が目に付く。

本来自分に直接影響及ぼさない他人の人生に
ジャッジメントを下したがる。

自分と他人を比較して、
自分ができていないが他人はできていることを羨んだり、
自分はしているのに他人はやっていないことを蔑んだりする。


これ何?


また、自他の境界線が曖昧がゆえに、ひとのことを自分事として捉えてしまい勝手に傷つく人もいる。

推しが批判されたら自分が批判されたような錯覚に陥り、悲しみ、怒る。

これは優しい人なんだなとも言えるが、
認知は歪んでいる。

その人の精神衛生上、
このような捉え方は調整していく必要がありそうだ。


今やSNSをやることが寝る・食べる・働くの並びにある。

これまで目につかなかった他人の人生が
常に自分の目に触れる場所にある。

テクノロジーの進化により、
場所や時間を問わず他人の人生を覗き見できることは、
最初こそドラえもんの世界のようにワクワクすることだったと思う。

しかし、今やSNSを通じて起こる弊害が増えすぎている。
誰かの投稿に勝手に怒って勝手に他人にも害を及ぼす人がいる。

SNSに関わる時間は増えるのに、
各々の関わり方に答えが出ておらず疲弊している。



〜自他の境界が曖昧な例〜

生活保護なんだから〇〇するな
→自分から出る税金の影響を過大視しすぎているのではないかと思う。〇〇の内容によっては生活保護の受給条件に抵触するものもあるのでそれは問題だが、自分の納めた税金がこんなことに使われるのは許せない論を唱え続けているだけの人がいる。


女だけ優遇するのは男性差別だ(牛角の件)
→損得を履き違えて、本来受けられているベネフィットのさらに上乗せ部分に対して、自分が享受できるかできないかで怒っている。そもそも普段からその施設を利用しているわけではないのに言いたい人もいる。


推しが批判された。許せない。
→自分が批判されたのと等しく感じ、反発する。でも、推しが法的に許されないこと、社会的に問題のある行動を取った場合は然るべき裁きを受ける必要は出てくる。かわいそうかどうかではない。


自分と同年代の人がすごい成果を上げている。私は〇〇なのにという落胆
→共通点は生まれたタイミングが近かったという一点のみで、今日までの環境や遺伝、気質や性格、興味関心などその他ほとんどの要素を無視して考えている。勝手に比較して勝手に落ち込んでいる。無駄。


こうやって書き出してみると、誹謗中傷として目に付く形ではないが、自他の境界線が曖昧ゆえに無駄なことで悩んでいるだけなことに気づく。

それが私である。

すぐには大きく変われないかもしれないが、
まずは自覚することから。


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まっぴ@事業会社マーケター
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