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Ⅳ 暗闇の水槽
前回のあらすじ
その夜、わたしは久しぶりに長い夢をみた。
家族で行った、とても大きな水族館の夢だった。まだわたしも弟も幼かった頃だ。
わたしははしゃいで、次々と派手な水槽を、弟の手を引いて歩き回った。
ペンギン、イルカ、南の国の魚たち。水槽の上からきらきらと光が差して、海の底にいる私たち兄弟を優しく照らす。
弟は大人しくわたしについてきていたが、ふいに足を止めたので、手を繋いでいたわたしは反動で大きく前につんのめる形になった。
彼が止まったのは、淡水魚のいる水槽だった。
その水槽には音がなかった。
生き物が住んでいるとそこには必ず動きがあるものだが、なぜかその水槽は静まり返っていた。
植物の揺らぎもなく、魚は身体の動きも、呼吸さえも止められてしまったように“静けさ”に支配されていた。
そこが他の水槽より暗いとか、中の生き物が怖いとか、そういった類の水槽よりも、子どもの恐怖心をぐんと煽り立てた。
弟は黙ってその水槽を見ており、わたしは魅入ってしまった弟の顔を何故か直視できず、ひたすら手を引っ張った。
「ねぇ、あっちにアザラシいるよ。いこうよ、ねぇ。」
弟は反応しなかった。
何回か手を引っ張ったところでびっしょり汗をかいて目を醒ました。
水族館に行ったのは覚えているが、あのシーンは覚えていない。
あの頃から弟は、死に魅入ってしまうような儚さを持っていただろうか?
あの時無理にでも弟を引き戻せば、今の結果は変わっていただろうか。
それとも、あれはわたしが創り出してしまった死に魅入られる弟だったのか。
それはその後幾度となく考えてみたが、全く答えは出なかった。