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誰かのファンである事をやめる決意を見た話。
何十年も誰か(歌手、アイドル、バンドなど)のファンでいられる事は幸せだと思います。それは、自らが幸せだからこそ出来る事なので。
Twitterに記された見知らぬ方の決意表明を目にして、そんな事を考えてしまいました。
ファンである事をやめる時
「私はJAMをやめます」
JAMとはJO1のファンネームです。つまりその方は「JO1のファンをやめる、表立って好きと言う事をやめる」と宣言したのです。
そう言う方が出て来るだろう事は、何となく予想していました。
「ミュージックビデオを回せ、目標何百万回」
「JAMと名乗るなら出来るだろう」
「会社でもスマホでずっと回してる」
「こんな回数で頑張ってるJO1に申し訳ないと思わないのか」
「JO1が恥をかく」
JO1が、JO1が、JO1が。
大好きな人達を持ち出されてそんな事を言われて、罪悪感を持たないわけがないんです。実際に生活のほぼ全てを彼らに捧げていると言うツイートも多いのだし。
でも、それが出来ない人は「JAM」になってはいけないのでしょうか?
仕事や学業や家事の時間を削り、貯金を減らし、常にどこかからのプレッシャーを感じながらでないと彼らのパフォーマンスを楽しむ権利は無いのですか?
開封されなかったCDの虚しさ
私は元々スマオタ(SMAPファン)でした。
二十年以上も好きでいたグループから離れた理由には解散した事もあったのですが、決定的なきっかけは別にあります。
それは『世界に一つだけの花』をトリプルミリオンにしよう、と言うスマオタの始めた企画でした。
「SMAPに記録を残してあげたい」
「SMAPのためにオタが頑張るんだ」
「ほら見て、私はこんなに買った」
「CDを買わないなんてオタじゃない」
私も何も考えずに乗りました。それは軽率だったと後悔しています。
『世界に一つだけの花』の売り上げがトリプルミリオンに届き、SMAPが解散した後、部屋には封を開けていないどころかショップの袋に入れたままのCDだけが残りました。
どうすんだ、これ。
それを感じた瞬間に冷めてしまったのです。
SMAPのため?記録のため?オタとして貢献したかった?そんなのただの自己満足じゃないか。私は、私自身は、これで満足したのか?
何をやってたんだろう、私。
自己嫌悪と後味の悪さだけが残ったまま、私はSMAPとジャニーズのファンをやめたのです。
所詮は自己満足だと理解してこそ
JAMをやめると宣言したあの方が、私のように「今までの自分の行動」を後悔しなければ良いと願います。
同時に、他のJAMの方々に何を言われても自分は自分だと言えるようになって欲しいとも思います。
私のようにならないで、と。
あなたは何も悪くないのだから、と。
誰かのファンである事は、自己満足の極みです。例え幸せを願う故の行動を起こしたとしても、相手がどう受け止めるかはわかりません。
だからこそ、誰かを好きになる事が自分の幸せや楽しみに繋がらないと苦しくなるだけなのです。
自戒を込めて。
※ヘッダー画像は「みんなのフォトギャラリー」からお借り致しました。ありがとうございました。
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