どうしようもなく「この時代」に閉じ込められている(過去を評価するにあたって)
今日もギスギスSNS、twitterは男女論で荒れ模様。
他国はどんな風なのか、こんな風に荒れているかどうなのか。
ともあれ、今日のテーマはブルマーのようです。
(https://twitter.com/3F9XXmF5o719520/status/1859204103416455412より引用)
まあ要するに
ショーツタイプのブルマーは性搾取的なヘルジャパンのキモオヤジが性欲を満たすために作った
的な世界観のようです。
なんか前もこんな話がありましたね。
陸上選手の露出が多いユニフォームは性搾取!ヘルジャパン!だったかな。
フェミニスト……というか本邦のフェミニストがそういう物語を描きたいのは分かります。
あの人たちの世界観は、
女性は一方的に虐げられ搾取された被害者である!
今自分たちがやっているのは被害の回復だ!
という建付けですからね。
あの連中のド厚かましい態度はこの被害者史観に支えられている。
とはいえ、このブルマーに関して言うと、ちょっと考えれば、これが色々とアレな考え方なのはわかるでしょう。
というのは、上記tweetを見てもらっても分かる通り、ショーツタイプのブルマーは日本独自ではありません。
バレーボールの試合映像で検索をかければ1980年代の試合でもショーツタイプのブルマーを履いて試合している映像が出てきます。
あれはじゃあ何なのかって話ですよ。
イルミナティとかフリーメイソンのような世界的な秘密結社が、性搾取のため女性にショーツタイプのブルマーを吐くことを強いていたけど、それがフェミニストの手によって打倒された!というのなら、中々面白歴史観です。
ぜひ小説投稿サイトあたりで書いてください。
とはいえ、これは今回の本旨とは関係ないので手短に。
同じことを何度か書いてる気もするし。
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ブルマーはもともとはああいう姿ではなかった。ではなぜあのようなショーツスタイルになったのか。
勿論これは正確なところは分からない。
ただ、一つ言えることがあるとすれば、それは社会の情勢、科学技術、製造技術、規範、思想、需要その他もろもろの多様なものの影響を受けている、ということです。
少なくとも、性搾取のためだ!ヘルジャパン!利権のためだ!裏金ジャパン!という
単純明快な物語で説明できるような問題ではない。
ある時代に生み出されたものというのは、その時代のあらゆる事象の影響を受けます。
そしてその評価も時代ともに変化する。
その時代の感覚はその時代を体験しないと分からない。
だからと言ってその時代について語るな、と言いたいわけでは全くありません。
言いたいことは一つ。
分からないことを前提として、謙虚さを持つべき
ということです。
過去の時代のものや感覚が過去の時代に囚われているように、現代の僕たちは現代の感覚に囚われている。
この束縛を恐らく解く事は出来ない。違う時代の感覚で違う時代を語るのは明らかに誤りです。
例えば、僕は世代的に携帯電話がある時代とない時代の両方を経験しています。
だから無い時代の感覚も、ある時代の感覚も分かる。
彼女さんに電話するにしても、家に電話するしかないので、親が出たらどうしようとか、考えてた時代があった世代です。
でも、携帯電話が生まれたころからある世代の人には、この感覚は恐らく理解不能でしょう。
例えば、僕は戦争を経験したことはありません。
戦争が身近にあった時代……今も国によってはありますけど、そういう人の感覚はどれだけ想像しても分かりません。
共産主義とかは人類史上最も人を殺した思想の一つであり、僕からすればトチ狂った悪魔の思想にも思えます。
しかし、その時代にはそれが生み出され、その思想や行いが支持される背景が確かにあった。
前述のブルマーに関していうなら、今の感覚からすればそりゃダメでしょと僕も思いますよ。
あのブルマーを強いるのは問題ある。
でも、当時にはそれを是とする感覚があった。
そういうなにか分からないものが有ったからこそ、あのブルマーは作られ使われていた。
ていうかですね、過去どころか同時代ですら分からないんですよ。
例えば、戦火の中で母国のために抗戦するウクライナの人の感覚を本当の意味で理解できる日本人は多分いない。
僕等の認知できる範囲というのはとても狭い。
いわんや自分が生きていない時代をや、です。
だからこそ、過去の歴史を語る時に、今の時代からすれば意味不明で愚かに見えても、今の僕等には分からないことがある、という謙虚さは絶対に必要だと思います。
複雑な世界への畏れ
とでもいうのか。
自分と違う時代、違う立場のことを
自分にとって「納得」できる単純な物語に落とし込むのはさけるべき
です。
そういうのってすごく腹落ちして気持ちいい。
だからこそ注意しなくてはいけない。
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あと、もう一つ言うのならば、この歴史的な視点というのは、いずれ僕等の時代にも向けられます。
今の感覚が、人類における感覚の最終アップデートファイルで、バージョンロックされ今後は大幅アプデはありません、なんてことはありません。
技術の進歩や社会情勢によって感覚はどれだけでも変わりうる。
同性愛への視線がこの25年足らずでどう変化したか考えれば、人権感覚や価値観なんてどうとでも変わりうることが分かるでしょう。
20年もたてば社会情勢は十分変化します。
30年前にはインターネットは一般的ではないし、20年前にはスマホもSNSも無かったんですよ?
それらが我々の感覚に与えた影響は言うまでもありません。
さらに20年後の人の感覚がどうなっているのか、僕には想像もつきません。
このまま少子化が進行したら、20年後とかに今の時代は、
「自由」の名に元に持続可能性を無視し享楽と放蕩を尽くした、無責任で愚かな個人主義の時代
として糾弾されている可能性も十分にあり得ますよ。
今の時代の感覚を無視して後世からそう評価された時に、その評価を受けいれられますか?
そう考えれば、異なる時代の感覚で過去を評価するのが愚行かはわかるでしょう。
……とはいえ、こういう過去を現代の感覚で評価する人達って正義中毒なので、こういう視点を持つことはまずないとは思いますが。
そういう人たちって、今の自分の価値感が絶対普遍の大正義ですからね。
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しかし、つらつら書いてて思ったんですけど、日本人って明治以降の近代と江戸時代の間で時代の断裂がある気がします。
明治や昭和初期の感覚を現代の感覚で批判する人って結構いる印象ですけど、その前に現代の価値観を適用している人はあまり見ない。
現代の人権感覚からすれば、新選組は人殺し!維新志士は過激派テロリスト!側室が当たり前だった戦国時代は性搾取!ヘルジャパン!とかなりそうじゃないですか。
でもそこまで言ってる人は流石にあまり見かけない……多分。
文明観というか時代感覚が違い過ぎていて、ファンタジーというか創作世界のような扱いになるのかな。
オウベイ(主語が大きい)だと産業革命期がこの時代の断裂にあたるののでしょうか……と思いつつ、この辺で終了。