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2. UCバークレーと運命のカニ

西海岸の旅・第二回(3~5日目)は大学とハイキング、そして僕らの運命を狂わせたカニについて。

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実は2週間の旅程の中で、サンフランシスコに滞在したのは5日間。シリコンバレーよりも長い。そこまで時間を割いた理由は、スタートアップのオフィス以外にもたくさんの魅力があるからだった。

今回ご紹介するスポットたち(左上の矢印がついたアイコンを押すとリストが見れます)

前回の記事はこちら

UCバークレー

カリフォルニア大学・バークレー校。日本での知名度はさほど高くないかもしれないが、世界でも屈指の名門校だ。

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アップルの共同創設者スティーブ・ウォズニアックや、Alphabet(Googleの親会社)でCEOを努めたエリック・シュミットなど、テクノロジー界に多くの頭脳を送り込んでいるほか、ビジネスや法律・政治など幅広い業界に名を轟かせている。ちなみにソフトバンク会長の孫正義さんもここの出身。

宿近くのPowell Street駅から電車で約30分。BARTに乗り込み、Downtown Berkeley駅に到着した。

駅はレンガ造りで、レトロな雰囲気。地上につくと、のどかな街が広がっている。

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大通りを道なりに進むと、すぐにキャンパスが見えてきた。通行人のほとんどは学生だろう。

ほどなくして、Sproul Plaza(スプラウル・プラザ)という広場に出た。まだ学期は始まっていなかったものの、多くの学生が楽しそうにおしゃべりしている。

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ミュージカルサークルがビラ配りをしている風景は、日本にも通じるところを感じた。

と、ここでひとつめのショックを受ける。

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大学内に “Amazon” の文字があるではないか。しかもなにやら近代的でかっこいい建物だ。

足を踏み入れると、アマゾンで頼んだ商品の無人受け取りが行われていた。日本ではコンビニで受け取れることが多いが、アメリカではこのような無人受け取りセンターが発達しているらしい。

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しかも、バークレー店はとにかくかっこいい。内装、BGM、どれも最高だ。有人カウンターもあるほか、学生がたまるのに最適なソファまで完備されていた。併設されたカフェもなかなかのもの。

興奮冷めやらぬ中、student storeに入店。

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広々とした店内には、スクールカラーの青と黄色をまとったバークレーグッズがところ狭しと並ぶ。すでに肌寒くなっていたサンフランシスコを生き抜けそうな、暖かそうなパーカーを購入した。

さらにキャンパス内を進むと、多くの学生で賑わうカフェを見つけた。Cafe Strada(カフェ・ストラーダ)は、リーズナブルな値段で様々なドリンクや手作りのクッキーを楽しめる。1989年オープンのこの店は、父にぜひ訪れてほしいと言われていた場所だった。

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なんでも彼が夏の短期プログラムに参加していた当時、ほぼ毎日来ていた場所らしい。思い出の一品だというレモネードを飲み、いちおう親子二代での注文を果たした。

高校はハワイだと言いながら、まだメインランド(本土)には行ったことがなかった自分。アメリカの名門大学に足を踏み入れたのもこれがはじめて。

 東京の母校を含めて、日本の大学と決定的に違うのは「スケール」だろう。

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敷地の広さや競技場の規模

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教室や図書館などの設備

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自然豊かな風土

どれをとっても、比較にならないほどの差がある。

もし高校生の時にここに来ていたら、本気で進学を目指していただろう。とはいえ、日本の大学はよくやっていると思う。

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なんとキャンパス内に恐竜の化石がある。

公立校であるUCバークレーの年間学費は州内出身者が4万ドル=450万円、それ以外(留学生も含む)は750万円ほど。

日本では考えられえないほどの金額だ。親の金銭力や奨学金を頼れない学生は莫大な借金を背負いながら通っている。

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UCバークレーのハース・ビジネススクール。

しかも世界中から授業料を大きく超える寄付収入があり、欧米、特にアメリカの大学は桁違いの予算を持っている。日本人は少ない資源を最大限に使って生き延びてきたことを肌で感じた。

詳しく知りたい方は、こちらの記事もどうぞ。

学生街とピープルズ・パーク

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バークレーの魅力はキャンパス以外にもたくさんある。付近の学生街には多くの店がひしめき合い、この地の若者文化を垣間見ることができた。

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学生寮らしき建物の驚くほど綺麗な内装に圧倒された。売店にはなぜか日本風のグミが大量に取り揃えられており、寿司やラーメンにとどまらない日本食ブームを知る。

しばらく歩くと綺麗な芝生が見えてきた。実はこの場所、ただの公園ではない。

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ピープルズ・パークは1960-70年代の反戦運動の聖地となり、先ほどのスプラウル・プラザと並んで学生たちが押し寄せていた場所。そして1969年、悲劇が起こる。

半ば暴徒になった学生たちと州警察が衝突し、鎮圧のために銃が使われた。

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少なくとも100人以上の学生が負傷し、後に大統領となるロナルド・レーガン州知事が非常事態宣言を発令する事態に発展。これが有名な「Bloody Thursday事件」の顛末だ。

現在は一見のどかに見える公園だが、どことなく殺気を感じる不思議な空間だった。

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夜は地元民で賑わうタイ料理店へ。オイスターソースとナンプラーがふんだんに使われた焼きそばを平らげ、宿へと引き返す。

ランズエンド

都会のイメージが強いサンフランシスコには、14の国立公園が存在する。

すのれぱ通信に度々登場する上杉周作さんがおすすめしていたこともあり、ハイキングに挑戦しようと決めていた。

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4日目の朝、真っ先に向かったのロス・ドレスフォー・レス。アメリカで安く衣類を買うならここ。アウトレット品が多く、日本でいうドンキのようなネームバリューを持つ。

20ドルほどのランニングシューズを見つけ、仲良く赤と青の色違いをゲットした。

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中心街から約1時間ほどバスに乗ると、ランズエンド国立公園が見えてきた。ゴールデン・ゲート国立保養地の一部でもあるこの場所は、人気のハイキングスポットらしい。

子どもからお年寄りまで歩きやすい、比較的平坦な道を歩く。

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20分ほどすると、海が見えた。あいにくの天気だったが、それはかえって自然の雄大さを印象づけていた。

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往復約10キロの道中には野生動物の死骸もあり、東京にはない感覚を覚える。

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2012年にオープンしたという売店には、(意外に)センスのよい土産がならぶ。さすがにpolar bears(シロクマ)はいないだろうが。

ピア39

翌日。旅行5日目にして、ようやくベタな観光地に行きたくなってきた。

対岸のオークランドに住んでいた高校の同級生の案内で、ピア39へと向かう。

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前日とうってかわって晴天のピア(埠頭)は遊園地やレストランなどで栄えていた。

オットセイの群れが住む桟橋を横目に、この日最初のお目当てにありつく。

カリフォルニアのプライドともいえるバーガーチェーン、In-N-Out(イン・アンド・アウト)だ。

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ご覧のとおり超シンプルなハンバーガーとポテト、そしてミルクシェイク。この三種の神器をめがけて全米から客が押し寄せる。

1948年の創業以来、家族経営によって守られてきた味は「これぞハンバーガー」という王道な感じだった。材料の調達から従業員の教育まで、妥協せずに品質にこだわる姿勢はダテじゃない。

そしてピア39といえば、完璧な距離感に位置するゴールデンゲート・ブリッジ。

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まさに写真日和の天候に、僕らは浮かれてシャッターを切りまくる。

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友人が呼んでくれたUberに乗り込み、すこしだけ歩いてみた。

カニ

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オークランドの友人と別れ、親友と僕はサンフランシスコのダウンタウンにいた。アメリカらしいダイナミックな町並みを見ると、やはり開放的な気分になれる。

傾いてきた日差しを背に、サンフランシスコ最後のお目当てへと向かう。

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かつてシアトルに住んでいた親戚が「少し高いけどおいしいよ」と言っていたカニ料理だ。Crustacean(クラステーシャン)という店の名前は、そのまま「甲殻類」を意味する。

しかし学生にとって気になるのは値段。思ったよりファンシーな内装と客層に不安をおぼえながら、メニューをみた。

ロブスターのグリル:$60
ロースト・クラブ:時価

みなさんはどう思うかわからないが、僕たちは「カニがロブスターより高いことはないだろう」と考えた。せっかく来たこともあり、カニを注文する。

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もともとはベトナム料理だというロースト・クラブは、大きなカニをまるまるガーリックとスパイスで蒸し上げた豪快な一皿。こちらも名物だというガーリック・ヌードルと一緒に食べるのが現地流らしい。

ガーリックとバター、そしてスパイスの香りはもちろん、カニ自体もすごく美味しい。「揚げバナナ」なるデザートまで注文した僕と親友は、すっかり満腹になった。

終始足元を見てきたアジア系の店員から伝票を受け取ると…総額200ドル弱=約2万円の会計。カニは$80ほどで、ロブスターよりも高額だったことが判明する。

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テレビでは簡単にみえるゴチ(値段予想)の難しさを知った。

一気に破産するほどの金額ではないが、序盤にして想像以上の支出であることは間違いない。いまでも親友の引きつった顔を思い出すと思わず笑ってしまうが、当時の僕たちにとっては死活問題だ。

その日の帰り道は、二つの複雑な感情が渦巻いていた。翌日向かうシリコンバレーへの期待と、残りわずかになった予算への不安。

学生らしい西海岸旅行は、中盤へと突入する。(続く)

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参考情報

この記事を書いた人

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Neil(ニール)
ecbo (荷物預かりプラットフォーム) とプログリット (英語コーチング) でUI/UXデザイナーとしてインターン。現在はIT企業でデザイナー。 ハワイの高校。大学では法学を専攻。もともとはminiruとしてnoteを運営。

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