兵書『孫子』ー君は戦争を知っているか?(17)
『孫子』第五「勢編」二回目です。
【本文書き下し】
凡そ戦ひは、正を以て合ひ、奇を以て勝つ。
故に善く奇を出だす者は、窮まり無きこと天地のごとく、竭(つ)くる无きこと河海のごとし。
終わりて復た始まること、日月是なり。
死して復た生くること、四時是なり。
声は五に過ぎざるも、五声の変、勝げて聴くべからざるなり。
色は五に過ぎざるも、五色の変、勝げて観るべからず。
味は五に過ぎざるも、五味の変、勝げて嘗むべからざるなり。
戦勢は奇正に過ぎざるも、奇正の変、勝げて窮むべからざるなり。
奇正環りて相生ずるは、環の端毋(な)きがごとし。孰(たれ)か能く之を窮めんや。
【現代語訳】
大体、戦いは、正しいやり方で合戦し、普通ではないやり方で勝つ。
このため、うまく普通ではないやり方を繰り出す者は、果てがないことは天地のようであり、尽きないことは河や海のようである。
終わってまた始まることは、月日、これである。
死んでまた生まれることは、四季、これである。
声は五音階に過ぎないが、五音階による変化は、ことごとく聴き尽くすことはできない。
色は五原色に過ぎないが、五原色による変化は、ことごとく観尽くすことはできない。
味は五種類に過ぎないが、五味による変化は、ことごとく味わい尽くすことはできない。
戦勢は普通でないやり方と正しいやり方に過ぎないが、普通でないやり方と正しいやり方の変化は、ことごとく窮めることはできない。
普通でないやり方と正しいやり方が循環して生ずることは、丸い環に端がないようなものである。誰がこれを見極めることができようか、いやできない。
☆評釈☆
孫子は春秋時代の孫武という人物であり、その子孫に孫臏という者が出て、『孫臏兵法』を書いたという。その『孫臏兵法』の中に「奇正編」があり、それが『孫子』「勢編」のこの部分の解説になっているという。
しかし、この部分だけでも、感覚的には理解可能であろう。
つまり、戦いは、「奇」と「正」がある。
対戦するときは「正」で向かい合うが、そこから勝つには「奇」が必要である。その「正」と「奇」には、月日や四季のように開始と終了がある。
また、その「正」と「奇」の組み合わせは、色や音階や味のごとく、つまり五色でさまざまな絵を描くごとく、五音階でさまざまな曲を演奏するがごとく、五味でさまざまな味の料理を作り出すがごとく、展開は変幻自在である。
戦いは「奇」「正」だけだが、その組み合わせは変幻自在で、循環して組み合わせ自由なので、誰も「正」と「奇」を見分けられないのだ。
……と言いたいのだろう。たとえが多く、美文が過ぎて、かえってわかりにくいような気がする。
因みに五ばかり出てくるのは五行思想から来ている。