snowdrops

毎日を笑って生きる、ただそれだけ。 人生は壮大なひまつぶし、に大いに共感。 好きなものはコスメ。韓国。地元の風景。 子どもの事や自分や親のこと。 いろんなことを書いていきたいと思います。

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最近の記事

ノストラダムスを信じて

若い人は知らないかも知れない。 預言者と聞いて昭和世代が半数以上は答えるであろうノストラダムスという名前。 1999年7月に地球が滅亡するという予言をしたとされる有名人。 その頃生きていた人は少なからずどこかでその予言を意識していた、はず。 世に普及したコンピューターが誤作動を犯し2000年に切り替わるかどうかそれにより地球が終わるのでは、と密かに囁かれたこともあった2000年問題というものもあった。 とにかく世紀末だったあの世界に、私は生きていた。 地球が滅亡する理由は

    • 子どもが不登校になったこと⑥

      子どもが不登校になって出口の見えないトンネルの中にいるような日々を過ごしていたあの頃、お金で解決できるものならばいくらでも払う、借金してでも何とかして払う、などと思ったりもした。 不登校の親への学校行けるようになりますよ詐欺があったら被害に遭うだろうな、気をつけないとな、などと考えたり。 精神状態はかなりギリギリだった。 今、子どもが不登校に悩んでいる現在進行中の方にかけることばをずっと考えていた。 自分が言って欲しかったことばも一生懸命に思い出していた。浮かばなかった。

      • 毒親とは

        前回からかなり時間が経ってしまった。 毒親のことで悩む人はこの世にたくさん居て、子を持つ親ももしかして自分も毒親かも知れないと思う人も少なからず居ることがわかった。 最近思うことは 毒親とは子どもが幸せになる事を制限する親だということ。 それは無自覚ということが大半だということ。 親の影響が子どもに予想以上に暗い影を落とし、子どもはその呪いとも言える魔法をいくら頑張っても払いのけることができない。 たとえ勇者のように勇ましく払いのけて幸せを掴んだかのように見えたとして

        • 毒親なのか

          この世にいる親には2種類がいる。 子どもにお金を貸してと言う親と言わない親。 下手すると貸して、ではなく寄こせかもしれない。 とにかく子どもにお金を無心する親かそうでないか。 親が本当に子どもの幸せを願うのであれば、絶対に子どもにお金を貸してと言ってはならない。 親が本当に生活苦でどうにもこうにも困窮してしまって相談できる所は手当たり次第あたってみたが他の誰にも助けてもらえない、手段が見つからない、困った、最終的に子どもに頼むしかない、となるような事はもしかしたら仕方ないの

          子どもが不登校になったこと⑤

          子どもが不登校になり悩んだ日々を文字にしようとしてみたものの… 記憶を辿ると、曖昧な事しか思い出せなくなっている。 出口の見えない手探りの毎日の重い気持ちが蘇り、ドッと押し寄せる疲弊感に負けてしまいそうになる。 結局息子は小5の夏休み明けから中学を卒業するまで学校にほぼ行くことはなかった。 たった1人の中学の卒業式。 校長室に担任と学年の先生達が拍手してくださる中、校長先生に卒業証書をもらっていた。 が、私の脳内に浮かんでいた曲は。 ギザギザハートの子守唄。 何を卒業するのだ

          子どもが不登校になったこと⑤

          子どもが不登校になったこと④

          色々な本を買っては読み、ネットで検索しては『悩んでいるのは我が家だけの事ではないんだ』と心を落ち着かせていた。 テレビや本で教育評論家の尾木直樹氏(通称・尾木ママ)が心の支えのようになっていた。 『学校に行かなくていいんだよ』と言ってあげるという言葉に衝撃を受けた。 学校に行かなければいけないと思って生きてきた自分。 学校に行くことが当然の事だと言われて育ってきた自分にその言葉は浮かぶことはなかったから。 そうか、子どもの辛い気持ちを理解し寄り添ってあげないといけないことはわ

          子どもが不登校になったこと④

          子どもが不登校になったこと③

          今からもう約8年前になるだろうか。 小5の夏休み明けから学校に行けなくなった長男は今は19歳になった。 遠い記憶になったため、細かい事は曖昧になっている事に驚く。 辛い日々はいつか遠い日になるのだと今は思う。 当時もそう思える日が来るのだとひたすら生きていた。 息子はその後、ほとんど登校をしないまま、中学に入学。 入学前の制服の採寸には行ったはずだが全く記憶がない。 毎日辛い思いを抱えていて、日記を書くことすら出来ていなかった。 そして、入学式と翌日の2日間は何とか登校した

          子どもが不登校になったこと③

          子どもが不登校になったこと②

          長男が小5の夏休み明けから学校を休みがちになった事で、私の毎日はガラッと変わった気がした。 きっかけのひとつとして、友達関係があった。 5年の4月、新しいクラスになってから、ちょっかいをかけてくる男の子が居て、その子のことで悩んでいたのだ。 その子が、何もしていないのに叩いてくる。 どっか行けと言ってくる。 毎日そのような事を言っていたのだが、その子は仲良くしたいんじゃないのかな?やめてって言ってみた? そんな会話をしていたが親として学校に言う、と言うのもなんだかなぁ、とその

          子どもが不登校になったこと②

          子どもが不登校になったこと①

          長男が小5の時に夏休み明けから学校を休みがちになった。 最初は風邪をひいていたのだが、数日経ち、風邪が治っても朝起きられない。起こしても起きない。布団から出ない。 私はパニックになり力ずくで布団を剥がす。 泣き出す息子…。 学校に行かせなきゃ、なんとかして行かせなきゃ… 何があったの?どうして行かないの? 聞いても答えない。学校に電話する毎日。 私は仕事をしていたのだが、朝からこの調子だと仕事に行く事もままならず、事情を説明して休ませてもらう事も多くなった。 私はシングルマザ

          子どもが不登校になったこと①

          心に残ったゲーム

          家族で遊園地へ行った帰り、スーパーで安売りされていたボードゲーム。 その名は『シークレットポリス』 マス目の描かれたボードを広げるとそこには街や建物の絵がある。 そこに電池を入れると音が鳴る、電卓のような、テレビのリモコンのような端末が付いていた。 マス目の上に立つ警察官のコマ。 すごろくのような形状。 プレーヤーが順番に端末のボタンを押すと、ドアが開く音や足音などが鳴るようになっていて、その音を頼りにボードの上を逃亡する姿の見えない犯人を追いかけるというスリルとワクワクがた

          心に残ったゲーム

          ただいま、私の育った町。

          何もないといえば何もないが…。 私は今年、何十年ぶりかに生まれ育ったこの町に戻ってきた。 大阪府八尾市。 生駒山が見える。恩智川が流れる。 鳥のさえずり、田んぼと畑と美しすぎる夕焼け。 ゴミゴミしたイメージの大阪の面影はなくのどかな景色と澄んだ空気。 ほとんどが昭和のあの頃のままの風景。 子ども達のはしゃぐ声と、お爺さん達の青空将棋。 川沿いは絶好のウォーキングコース。 ポン菓子や石焼き芋やとうもろこし売りのトラックもやって来る。 忘れていた穏やかな時間。 私は今まで一体何

          ただいま、私の育った町。