満員電車。小さな決意。
東京の満員電車
久しぶりに東京の電車に乗った。
相変わらず人が多い。いや、多すぎる。
通勤通学のピーク時間よりもはるかに早い時間なのに、スーツに身を包んだ人が、まるでテトリスのようにそれぞれの持ち場に綺麗におさまっている。
息が苦しい。一刻も早く帰りたい。
ふと視線を上げると、そこにはたくさんの広告がひしめきあっている。
医療脱毛、受験予備校、投資、コミュニケーション術、マネジメント論、転職エージェント、話題の自己啓発本、プログラミング教室、子供預かりサービス。
「これをすれば、あなたの人生がさらに良いものになりますよ」
「あれ、まだこれしていないんですか?」
「もっと自分らしく生きましょうよ」
静かに目を閉じ、ヘッドフォンから流れるラジオの音量を上げた。
憧れていた東京という幻想
自分のことを知らない誰かに、「自分らしさ」を押し付けられたくないし、寄り添っているようにみせかけて、貴方達が競争に勝つための道具になりたくない。
そんな捻くれた思いがこみあげてくることに、久しぶりに心がざわざわする。だめだ、やっぱりこの街は私に合わない。いつでもどこでも、こうやって「足りない何か」を感じるように仕向けられている気がする。
もちろん、頭では分かっている。誰も私に向けてその広告を作っているわけでもないし、嫌なら見なければいいと言われるだろう。
この街は、そうやって強い気持ちを持ち続けられる人が生き残れるのだろうか。自分のこと以外は無関心で、見てみぬふりが上手で、流れるようなスピードに置いていかれぬよう、自分を向上させていけるような人。
すごいな。昔は憧れていた「東京」という存在は、今の私には居心地の悪いものに感じられてしまった。いやむしろ、この街に適応できない自分が、この街からはじきだされてしまったのかもしれない。それはそうで、まあしょうがないか。
偶然の奇跡
とても混み合う電車で、荷物を持ったご年配の方が乗ってこられた。
私は電車に座るのが苦手で、普段は席がよほど空いている時以外は立つことにしているのだが、こんな満員電車じゃ誰もそのご年配の方には気が付かない。だって、サラリーマンも学生も、みんな寝てるか携帯見てるもん。
本当に誰も声をかけない。みんな疲れていることはわかる。十分わかるけど、なんだかちょっと悲しくなった。これもしょうがないのか。私にできることは何もなく、ただ私の近くの席が空くことをひたすら願っていた。
その想いが通じたのか。奇跡的に私の目の前の人が降りたのだ。満員電車で本当に奇跡だと思った。私はすかさず少し先にいらっしゃるご年配の方に声をかけて、席が空いたことを伝えた。
その方は驚いていた。ありがとうと何度もお礼を言ってくれた。いやいや、よかったです。本当に良かった。
もちろん席に座っている人が悪いわけではないし、席を譲ってあげるべきと言いたいわけでもない。私が席を譲ったことを誇りたいわけでもない。ただ、普段から東京の電車を使っているわけではないけれど、何だか重〜い空気が朝から流れているように感じた。一人ひとりが自分の人生に必死で、今日もきっと大変な予定があるのだろう。朝からすごいなと思う。
半径1メートルの世界で
きっとこの先も、この光景は変わらない。それぞれの場所に、みんな必死で向かっている。でも、自分の半径1メートル以内だけは、少し丁寧に観察してみてもいいのかなとも思う。世の中とか、社会とか、そんな大きなものに対峙する必要はないし、変える必要もないけど、自分の視界に入る、せめて「半径1メートルの世界」くらいは、自分の行動で変えていきたいと思う。
そんな小さな決意を胸に秘めて、私はまた静かに目を閉じ、ヘッドフォンから流れるラジオの音量を上げた。