過去と向き合うことでしか、前に進めない。
過去と向き合うことは、しんどい。本当にしんどい。
自分が蓋をし続けてきたものと向き合わなくてはいけないし、見なくてもよかったものを見なくちゃいけない。
「漠然とした生きづらさ」の原因は、私の悪口を言っていたあの子のせいでもなく、前職の理不尽な上司のせいでもなく、罵詈雑言を平気で言えるあの先輩のせいでもない。
全部、自分だ。
全部、自分が引き起こしていた。この事実に気付きたくなくて、耳障りのよい言葉に逃げたりもした。
「そんなことないよ、考えすぎたよ。あなたはあなたのままでいいんだよ。」
嬉しい。ありがたいと思う。でも私は、この漠然とした生きづらさと最後まで死ぬ気で向き合った上で、私を受け入れたいと思う。
決して「今」の状態ではない。それでは何も変わらないじゃないか。
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完璧主義、0-100思考、人の気持ちに敏感、人の期待には全力で応える、そのあとは抜け殻、些細なことが気になる、大人数が苦手、自責思考でもあり他責思考、飽き性、環境に左右される、一人が好き、でも誰かと強烈に分かり合いたい、理想がある、でもその理想が何かは分からない。
全部、ずっと苦しかったけど、対処療法的にジャーナリングをしてみても、カウンセリングに行ってみても、コーチングを受けてみても、私には全く響かなかった。特に対人支援においては「人」がいるだけでだめだった。そこに「人」がいるという事実だけで、私は私ではない「誰か」になってしまう。一度も考ええたことない考えや言葉が、口から勝手にペラペラと喋り出す。
誰かのせいにするのは簡単だったけど、誰かのせいにしたところで問題は解決しなかった。誰も私の代わりに人生を歩んではくれない。自分の人生は、自分で歩いていくしかない。
0-100思考は心地よかった。最終的に思考を放棄して、楽な道があるかもしれないとう希望を持てるから。でも、0と100の間にあるグラデーションの中に答えを探す努力ができないだけだった。その現実をしっかりと自分の中に落とし込まないと、きっとこのまま何も変わらない。
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あるとき、ふと気づいた。
「相手のため」だと思っていた行為は、全部自分が得をしていることばかりだった。
・人に優しくしていれば、自分が傷つかずに済んだ。
・思いやりを持っていれば、人の心がわかる人だと思ってもらえた。
・何かを全力で頑張れば、価値ある人間だと思ってもらえた。
その結果、どうだろう。優しさが当たり前になり、なぜか断ると嫌な顔をされた。「利用されているのでは?」という気持ちにすらなった。人の良いところは目につくけど、それが自分と他者を比較する引き金にもなった。自分と他人は違うのに、勝手に誰かと自分を結びつけて、自分の足りないところを補おうとしていた。
自分が得をするための行為は、ナイフとなって自分に返ってきた。
「共感」「思いやり」「細かなことに気づく力」「察する力」
自分の強みだと思っていたものは、自分が傷つかないために身に付けてきたスキルだと気づいて、愕然とした。
自分を変えよう。
会社を退職後、そう決めた。一気に変わるのではなく、一つひとつ丁寧に原因を見出し、合理的に考え、不要なものは捨てていこう。今までの人間関係の築き方に終止符を打ち、「私」が心から満たされる方法を見つけよう。
そのためには、やっぱり「過去」と向き合う必要があった。向き合わずに次に進むこともできるけど、ずっと重いタイヤを引きずりながら進むことになる。それは、できれば避けたい。いつか向き合う必要があるのであれば、それはきっと早いほうがいいだろう。
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本気で変えたい。変えたいから、「〇〇の特徴」とか「〇〇のあるある」を用いて誰かと共感したいなんて思わない。だってその「あるある」のせいで、めちゃめちゃ苦しいから。口にするのもこわい。
「あなたにはこんな素敵なところがあります!」
勝手に素敵なところにしないでよ。偽りの素敵を褒められても嬉しくない。
「私たちよく頑張っているよね」
傷の慰め合いなら他でしてください。呑気でいいよな。困ってないならこちらを巻き込まないで、そっちの世界でせいぜい楽しくやってよ。(ほんと歪んでる)
※上記、あくまで「私」の意見です🙇特定の何かを揶揄するものではありませんので、不快になられた方は申し訳ないです。
読まなくてもいいのに、読んでしまった自分を激しく後悔する。
本気で変わりたいと思っている自分にとっては、全部全部不要なものだった。
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今日も苦しいけど書き続けている。前に進むために、過去と向き合っている。noteはそのために始めたのだ。自分のためにひたすら書き続ける。
ここまで言語化するのに、1年以上かかった。今日ようやく言葉にすることができた自分を、ちょっと褒めてあげたいなと思う。