令和版お道具箱
お道具箱ってきれいでした?
僕は三日もすればゴミだらけになってるタイプでした。
各学期ごとの終わりに、めっちゃ片付けていたんですけど、ダメでした。
振り返ってみれば、ちゃんと病気ですね。未だ治療中です。
ゴミだらけになって整理して、結局残るゴミっているじゃないですか。
なんとなく、残したいと思うやつ。
ねじ工場でもらったボルトとナット、無駄にきれいに折れた折り紙、
練り消し、あの子がくれたお菓子の包み紙。
お道具箱選抜は、こいつらが常連でした。
最後の一つは嘘ですが、重要そうな連絡の手紙は秒で捨てていたことは本当です。
「人間の○○に××は出る!」「人の本質は△△!!」
とか言ってる自己啓発本はそんなに好きではありません。そういった類の書籍を出荷するトラックを特定できたら、パンクさせたい。
でも「捨てられないもの」には、人間性が大いに出るんじゃないか。
割と何度考えてもそれはなんとなく間違ってないような気がします。検証もしていないし、学説的には根拠は一切ありません。なんとなくです。
ただ少なくとも、それを使ったら、自分や誰かがどんな人間かを説明するための、一つのツールになる情報なんじゃないかな、と最近感じました。
思い出の品を捨てられない、
学生時代の教科書を捨てられない、
本の帯を捨てるかどうか、
お高めのスイーツやお菓子を買ったときの、缶・瓶・袋。
さぁどうでしょう。これらが捨てられるか捨てられないか、それを言うだけでちょっとその人が見えてきそうじゃないですか。
SNSが、商業的にも個人的にも、人から見られるという対外的な活用に進化を遂げまくっています。一億総インフルエンサー時代。
みんなが人の投稿みて嫉妬して、わけわからん加工して嫉妬させて。非常に愉快な地獄が当たり前の環境、そんな時代です。
ソーシャルネットワークサービスなんで、人とつながることは大前提として、そのネット人口が爆発的に増加することで「公的」がめっちゃ進みました。つまり普通の世の中と大して変わらなくなりました。
世間(電子版)です。
普通の世間(オフライン)より対外的で、疑似的で、加工しやすいオンラインでは、みんなの本当の姿が、昔ほど見れなくなりました。
(だから僕は、Twitterでゴミのような本性をさらけ出している人を見ると、少し懐かしくほんわかした気持ちになります)
そんなオンライン空間に残っている、自分自身を判別できる、手垢のついていない、「捨てられないもの」のようなものって、何だろうか。
「イイネ」欄
ではねぇか、と思うわけですよ。
あそこには性癖、リテラシー、時々の自分の心の波。
全部がつまっていませんか。たまに見返すととんでもないクソツイをイイネしていませんか。使っていない豆知識、大量にありませんか。
情報を得る気でいられるSNSは、それらの情報が現実の自分にどれだけ反映されているかで、自分の愚かさやずぼらさも見えてきませんか。
僕はこの文章を書きながら、全部グサグサ刺さって死にそうです。
その情報を、少なくとも、拾おうとした自分がいて。
それを整理できるかできないかで、どれを消すか消さないか。
その自分は、現代に残った数少ない、「オンラインの」本当の自分な気がします。
僕が何が言いたいって、ミニマリスト気取ってる奴のデスクトップが汚いくて、イイネ欄が欲望まみれなのが、滑稽だということです。
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