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醜い私の話

私は承認欲求の塊だ。

私は承認欲求がとても強い。
人から褒められると嬉しいし、ツイッターでいいねをもらうと嬉しい。
私は褒められたい認められたいという想いがあまりにも強いのである。

ツイッターでさんざん述べているように根っからの精神科志望なのに、外科ローテでたくさん褒められると外科もいいなと思ってしまうのである。もともと外科はすごく苦手で、実習のときも避けていたにもかかわらず。

質が悪いのは褒められたことを他人に伝えて、より一層褒めてほしいと思うところだ。先生からこんな事言われたんだよ~と同期に言って、優位に立ちたいと思ってしまう醜い気持ちもある。(実行はしていないが)

また、SNSでたくさんいいねをもらうとたくさん見られているという恐怖とともに、私の文章が認められた気がして嬉しくなってしまう自分もいるのだ。もっと、もっと、と思ってしまう。
もっとたくさんの人に私の紡ぐ文章を見てもらいたいと考えてしまうのである。

どうしてなのだろうか?

なぜこんなにも承認欲求が強いのだろうか?
幼少期に親に愛されなかったわけでもない。学生時代に全く褒められなかったわけでもない。そういう意味ではかなり恵まれているのである。
私なりの分析では、自己肯定感が低いから他人に評価を委ねてしまっているのだろうと思うが、そうなるとなぜ自己肯定感が低いのかという問題になってくる。
結局この冒頭の疑問は謎のままである。

過程より結果

たとえ努力していても努力していなくても、過程より結果が大事だと思ってしまう。
だから運良くうまくいって他人から認められれば承認欲求が満たされて、いくら努力してもうまくいかなかったら自分で認めることはできず、自己肯定感が低下していく。

その点、勉強はやればやっただけ成果が上がって他人から褒められて、成績がいい人として先生からの覚えがよくなるから学生時代は良かった。
けど、仕事になると勉強も大事だが実地で学ぶ側面が多くなってきて、失敗から様々なことを学ぶ場面が増えてくる。こうなると、プライドがずたずたにされて成長していかなければならないのである。
承認欲求が強い私にはとてもとても困難な道のりなのである。

最後に希死念慮の話

恒例のように、死にたい話を最後に持ってくるが、仕事という困難な道のりがあるからこそ、毎日が苦痛で溢れている。明日も仕事だと思うと死にたい気持ちが溢れてくるし、上級医に会うのも苦痛極まりなくて仕事に行きたくないと思ってしまうのである。
一般人は乗り越えられることで私は耐えられなくなってしまうのだ。

やっぱりこんな人間は消え去ればこの世のためになるのにね。

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