苦味は深みで、美味しさで
苦い経験は、思い出すたびに自分を苦しめる。ほろ苦さなんて、自分から感じることなんてないと思っていた。苦さは、頼んでなくてもやってくるのだから、いつまでも甘いものをほっしていたかった。
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まだ時間は十分あるな。約束まで1時間くらいあるにもかかわらず、待ち合わせている場所にきていた。
あたたかい部屋にいて、休日特有のひと時を過ごすという選択もあった。でも、近くでみかけたかわいいというよりも、カッコいいが似合うようなカフェに行ってみたくなった。そのあと、待ち合わせだからという理由なら行ってもいいかなっと思えたのだ。
おそるおそる足を踏み入れ、空いていたテーブル席の椅子にマフラーをおく。
注文カウンター手前のメニューをみると、コーヒーにこだわりのあるお店だとわかる。
コーヒー以外のメニューは、数種の紅茶とソフトドリンクだけだ。
エスプレッソ、カフェラテとカプチーノ。その違いが分かるようになってからは、最近のこと。会社のコーヒーメーカーがやってきてから、日ごとメニューを変えて飲んでいる。
おかげで、コーヒーと言ったら、カフェラテだったのに、カプチーノが好みだとわかった。苦さがぎゅっとつまったエスプレッソに牛乳たっぷりのカプチーノ。
ご注文はお決まりですかの笑顔にも、緊張せずにこたえられた。意識して注文したのは、はじめてだ。
このカフェの味はどんなだろう。苦くないといいな。期待しながら待っているとプシューっと抽出している音が聞こえる。作っている手元はちょうど見えない位置なのに、作っている方をみてしまう。
「お待たせしました。」
出てきたカップをみてた途端、かわいいって思わず声が出てしまった。カップぎりぎりに注がれたカプチーノのには、ハートのラテアートがほどこされていた。
店員さんはその言葉ににっこり笑って、ごゆっくりお過ごしくださいと言ってくれた。
ラテアートとは、エスプレッソのうえに細かく泡だてた牛乳を注ぎながら模様をつくる技術のこと。注ぎかたを工夫すると、濃い茶色と白色のコントラストでさまざまな形をつくることができる。液体特有のゆるやかさの中でつくられる細やかさ美しさ。
ハート模様がゆれないように慎重に運んでいると思い出した。ラテアートにもあこがれがあったこと。
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もともとカフェで過ごすひと時には、人一倍あこがれがあった。平日の昼間にパソコンをひろげて、恋愛コラムを書くなんていう海外ドラマの主人公が輝いてみえたもの。
どちらかというと、オシャレな空間でコーヒーを飲みながら過ごすことのできるのは、大人の女性の特権みたいなイメージがあったのかもしれない。
かわいいラテアートの写真もついついみてしまうのに、自分で頼むことはなかった。
ずっと紅茶しか飲んでいなかったし、飲むことができる甘いコーヒーには、かわいいデザインの代わりに、生クリームやアイスクリームがのっていた。
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苦い経験は、思い出すたびに自分を苦しめる。ほろ苦さなんて、自分から感じることなんてないと思っていた。
いつの間にか、カプチーノが飲めるようになっていたことように。時間は進んでいるし、自分も変わっていっている。
苦さは、甘さにはならないけど。
苦さが、美味さになることはあるな。
これが深み?なんて、ほんの少しだけ背伸びしている自分に笑う。
大人の女性になったかはわからない。
あたたかなカプチーノは、ほんのりと苦いのに美味しかった。
甘いお菓子が食べたくなってしまうけど、お砂糖をいれたいとは思わなかった。この苦味は、美味しさのひとつなのだ。
苦さは、頼んでなくてもやってくる。これは変わらないのだろう。やってくる苦さを味のひとつとして受けとることができるのなら、あの頃の自分よりも深みが増すような気がする。