思い返せば幼少期から人生ハードボイルドその②
平成の母子家庭・保活問題
離婚前の保育園の保育士からのいじめ
平成初期時代はDVは民事不介入で「DV(配偶者暴力)防止法」なんてものも無かった。
そして「殴られる側にも問題がある」というのが定説だった。1万歩譲ってまあ、私もこういう気の強い女なので口では敵わなかったところもあったでしょう。
だからと言って骨折したり耳が裂けるまで殴るか?
園にもどれだけ傷だらけで子供の送り迎えをしていた事か・・・
私は結婚してから離婚をするまでお付き合いしていた時期も入れると8年間この手の事で実家に戻ったこともなかった
それだけ実家には居場所は無かったし味方などいないと思っていたので暴力を受けていた事も自分の家族には話した事は無かった
そんな逃げ場のない自分が実家にも帰らずに離婚を決めたのはそれだけの理由があったから
そしてそんな環境でも頑張れていたのは、長男出産後からお世話になっていた小児科の先生のお陰だった
子供たちは乳幼児期はとても病弱でどの子も入退院を繰り返す様な子達。
そして次男の妊娠時は私の異常妊娠(前置胎盤による胎盤早期剥離)という当時ではかなり命懸けの出産だった事もあり、産科の先生と連携を良くとって下さっていたのでその先生だけは私の異変や体の傷に気づいて下さっていた
あの時今の私と同い年もしくは40代前後で心無い言葉を放った先生方は時代が変わり、法律もDVは犯罪であると認められて何を思うのだろう
離婚という解放とそれからの責任
元夫家族も機能不全家族だった
元夫は元夫で彼なりにもそこそこ癖のある家庭に生まれて育った3人兄弟の長男で、昨年亡くなったと聞かされた元姑もそれなりに苦労をしている人だったのは間違いない
元夫の両親はうちの実家とはまた違った宗教の信者でその宗教間でのお見合い結婚だったらしい
舅、姑も元は長野出身
他界していた舅は6人だか7人兄弟の長男だったが、夫が18の時にアル中が原因の肝硬変で既に他界していた。
ここだけ聞いてるとまぁ・・・宗教に救いを求めたくもなるか・・・と思った自分がいた
彼もまた機能不全家族だったのだと今では思う。
私にしてきた事は許してはいないが、ここ数年の間に元夫と接触を持ち始めた息子達から時折様子は聴こえてくるが、相変わらずだな・・・と思ったり
再婚相手の間にできた子供たちの事でも今も彼なりに闘っている事も在るんだろうとは思う。正直どうでも良いのだが・・・
この期に及んでまだ修復できるとまで思っていた夫をしり目に着々と新居の内観、契約を済ませた。
ちなみに私と元夫の結婚記念日は6月23日
離婚届は平成9年6月25日
平成9年6月23日は暦は大安だったがここまでくると同じ空気を吸ってるだけでエブリデイ・仏滅だ
まあそもそも、結婚記念日を大事にされた事など1度も無かったので本当にどうでも良くなっていた。
私にとってあの6月25日は再出発をする為の大事な日だった
夫と暮らした家財道具の殆ど持ち出すなと言われたし上等だよ、うちの親から貰った物もお前の痕跡が残った物なんかくれてやる
そのくらいの気持ちでの夫が写っている子供たちの写真も全て置いてきた。
今後に備えて出来るだけ出費はしたくなかったので家電製品以外は中古屋で揃えた
けどそんな感じには見えない家財道具達。
新居への搬入が終わり部屋の窓を開けた時のあの何とも言えない解放感と同時に感じた全て終わった感と粛々と迎える始まりの空気を私は一生忘れることは無いだろう
あの日、私は新戸籍での筆頭者であり世帯主になったのだ
戸籍を抜いて分かった事、その後の保育園騒動
ちょっと重たい話ばかりになってしまったのでここからはまた面白おかしく書いて行きたいと思う
新生活を始めたはいいが、やる事は一杯だ!
先ず子供たちの戸籍の除籍と入籍
こんなもん・・・親権とって引き取った側の方にサクッと移せばえ~やん!
上の子が小学生だった事もあったし、離婚は私たち大人の勝手な都合
離婚が与える子供への影響は親の離婚を経験した私だからこそ解るし、それよりも私が母の旧姓に戻る事の方が強い拒否感だったかもしれない。
という事で、姓は離婚前の姓で新戸籍を作ることにしたのだけれど、めんどくさいね~~
親権取って引き取ったんだから住民票と同じ感覚でこっちに直ぐ移ると思ってたら戸籍係から
「お子さんの戸籍の件は家庭裁判所へ行って手続してください」
・・・
・・・・・
へ?
何これ⁉婚姻届は紙切れ1枚でハイ終わり!おめでとうございま~す!なのに裁判所だ?
半ば強引だったけど協議離婚やぞ・・・
でもそれをしないと子供たちの籍は移らないってんだから行きましたよ…
離婚経験者は揃って「離婚は結婚よりパワーを使う」って言ってたけどまあ確かにな~~~www
DVする奴に限って離婚は渋るわ、その時だけの優しい言葉かけて来たかと思えば拒否れば手の平ドリルなんちゃう?ってくらい態度豹変www
当時平均体重45キロだった私、39キロまで痩せたもん(もっかいそのくらい痩せないかな~…黙れ)
その上書類だのなんだの保険関係etc・・・
んで家裁から承認されたたその通知持って市役所に行って子供たちの戸籍を私側に入籍と・・・
家裁まで来たんだから家裁でやってください!!(心の大声)
今もその手続き方法なんかな~?知らんけど
母子家庭の新たな保育園探し
転園には現在通園している保育園への退園届を出してから??
次に子供たちが通う保育園の転園
幼稚園だったら送迎バスもあったんだろうけど、自称自営業だった夫とガチで勤め人だった私
ってことで、子供たちは0歳児から保育園である
条件は「延長保育あり」離婚まで助っ人が居なかった私にはこれは絶対外せなかった。
新天地近隣の保育園を探しピックアップ
当時は6~7か所あった保育園の中で2か所しかなかった
前居住地管轄の保育科に転園したい旨を相談したらば
『転園希望の場合、現在の保育園を退園の手続きが必要になります・・・』
・・・
・・・・
・・・・・・・
はぁ?
いやいやいやいや!! まだ転園できるかも決まってないのに?
前の市内で通っていた保育園に退園届を出さないと新天地での保育園に申し込みが自体が出来ないっていう問題が新たに発生
保育園って保育の緊急性が問われるんじゃなかったですっけ???
決まったら退園届じゃ無い事に恐怖感すら感じた、マジで!!
長半博打にも程があるやろ保育園問題!!
ガッチガチのお役所対応
どんなに事の重要性を訴えたとてなかなか翻ることのない塩対応
そう!それがお役所クオリティー
「規則ですから」「決まりなんで」が定番
でも役場関係者だとシレ~~・・・っと融通利いちゃう的な
クソが!!
なんて言わなかったけどめっちゃ言いたかった
まあ、これがみんなまかり通ってしまったらそれも問題よね・・・
離婚云々は勝手な都合だもんね。。。
色んな気持ちを押し殺して指示通りに手続きしましたよと
ボッシー&勤労学生
6月に離婚したにはもう一個理由があった。
18歳で長男を出産した私は普通高校から定時制に転校していた
そして、離婚を決めた年に通信制の短大生をしていた
通信学生のスクーリングが集中する7月、8月
これにはどうしても参加したかったのだ
確かに若さと勢いで結婚し出産した事は非難されても文句は言えない。そして人生設計がとても甘かった
だからこそ学びたかったし、諦めたことを出産や子供のせいにしたくなかった
結局色々手続きを踏んで、翌年の3月までは前の居住地の保育園に車で片道40分かけて保育園の送り迎えをした。
車の駐車場は元のアパートに夫のみが住んでいたのでその駐車場分の月額分を払いそこからさらにバスで勤務地まで通勤するという手段をとった
これって仕事行くのに普通に電何車通勤するより大変じゃね?
アンタ良く一年近く頑張ったよ!
そして、前述されているけど前の保育園では延長保育が無かった為に何度も交通事情で10分ほどお迎えが遅れる事も多かった
若い母親ってだけでターゲットにされやすかった当時、そこの保育士の先生からは「愛情不足」「遅刻するなら退園してもらいたい」等心無い言葉も浴びせられた
離婚前に働きに出ない夫は美味しいところは上手く持っていこうとするけど、少しでも自分の非を指摘されると「この人嫌い」となる人だったのだけど、DV夫あるあるで外面は良いので、そこの保育園の先生方からは優しいパパで通っていた
そらそうだろうよ!出勤時間気にしないで良いもんな~!
こちとら出勤時間もあるし、お客様抱えてるし、生活掛かってるからちょっとの熱なら家にいる夫にお迎え頼むわ!
なんちゃって自営業だったけど、時間にルーズ過ぎて会社勤めできない夫なの!だから縁故で仕事を分けて貰ってただけだっての💢
なので、私が離婚をするため隣の市に移ることを知った姑世代の保育士の先生方からは「便宜上の話ではなくて?」とか「あんなに優しいパパなのに」と、非難の目は私に向いた
子供たちの預け先が無くなるのは一番困ることなので、カチン!と来る言葉を飲み込んで心の中では
ッケ・・・なんも知らんと知った風なこと言うな💢
無事に転園先が見つかりますように・・・
それこそ何かの宗教に縋りたい気持ちで1年近くを過ごした
長々と元夫と当時の保育園の悪口になってしまった・・・
ここまで読んで下さった心の広いそこのアナタに出来る事なら美味しいお茶でも入れたいくらいです🙏
次回・保育園落選??の巻き
またお付き合い頂けたら嬉しいです