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ようやく素直に読めた センス・オブ・ワンダー

もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない「センス・オブ・ワンダー(神秘さや不思議さに目を見はる感性)」を授けてほしいとたのむでしょう。

この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤となるのです。

レイチェル・カーソン「センス・オブ・ワンダー」より

正直、子どもを育てるまえにしっかり読みたかった本。

手に取ったとき、わたしはもう子育てが終盤に差し掛かり更年期真っ只中。
自分の体がしんどくて優しい心が足りてなかった。
あまりにも有名な良書なのに手に取った時期が悪かったのか私には響かなかったのだ。

センス・オブ・ワンダーは作者レイチェル・カーソンの姪の息子であるロジャーに捧げられた本であるという。

まず私はこの親戚関係でつまずいた。
自分の姉の娘の息子…むーん…
自分の血縁に当てはめて想像できなくて
こんがらがってしまったのだ。

甥、姪ならまだ分かる。
だがしかし姪の息子となるとちょっとばかり関係が遠くないか?面倒見るとかないが?

という批判じみた感情が先ばしってしまい素直に読めなかった。登場人物の設定で読まなくなるの、あるあるなんだよ。

ところがだ。
ある日、急にもう一度読んでみようと思い読んだら響いてきた。

ああ、私はなんて浅ましい感情に取り憑かれていたのか。自分が親戚やらそういう絡みにスン…となることで素直に読めなかった。
ごめん、レイチェル…


センス・オブ・ワンダー(自然に触れて深く感動する力)は大人にもあると思うのだ。

自然への共感力なのだと思う。
私が山に入るようになって感じていた気持ちはまさにセンス・オブ・ワンダーだった。
誰もが持っているこの種の五感をしばしば忘れがちだが人間なら基本的に備わっている能力だと思うのだ。

ああ、山に入りたくなってきた。
自分の歩く一歩一歩にすべてを集中させる
マインドフルネスとセンス・オブ・ワンダーは繋がっているのではないだろうか。

とにかく、自分が素直に読めるようになって良かった。
家族設定とかで良書を拒否しがちなの、どうにかならんな。わたし。

だからこそ現実逃避としてのファンタジーが好きなんだろうが。

まさに解毒剤だったわ。
ありがとう、レイチェル。
(すんません、何様よ…)







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