介護の始まり③薬が余るの巻
母はパーキンソン病と診断された。
パーキンソン病は指定難病になっている病気である。
神経内科で母はドーパミンを補う薬など3種類を処方された。
これをきちんと飲めば症状が緩やかになるはずだ。先生も薬を飲めば落ち着くとおっしゃっていた。
私は父にも母が食後にパーキンソンの薬を飲むようにしてほしいと伝えた。
最初の頃はきちんと飲めていた。
震えの症状が少し落ち着く。良かった。
このまま落ち着いてくれれば良い。
介護調査から1ヶ月が経ち、出された結果は「要介護2」だった。要支援かと思いきや、すでに要介護2だった。
要介護2とは
要介護2の概要を見るとまさに母だった。
ケアマネさんに介護認定が出たことを伝え、デイサービスを週3回にする。
まだこの頃は手を引けばトイレまでなんとか、なんとかだが行けた。
母もデイサービスに行くことが生活の張りになっていて行く日は楽しみにしていたようだ。
良かった。リハビリして少しでも良くなれば…。
とかいう淡い期待はすぐに終わる。
半年くらい経ち、母の症状があまり芳しく無い。明らかに歩行が悪化している気がする。
なぜ?
ベッドの枕元には大量の薬が余っていた。
え?なんで飲んでないの?
私は母に薬をきちんと飲まないといけないことを伝えた。
父にももう一度薬の管理をお願いする。
2人とも認知症は全くない。
さすがにきちんと飲むだろう。
だが、私の認識は甘かった。
薬が一向に減らないのだ。3ヶ月に1度の定期受診日。薬はざっくり20日分以上余っていた。神経内科の先生も薬の効果が出ていないことに首をかしげる。
私は薬をきちんと飲めていないことを伝えると明らかに先生の機嫌は悪くなった。機嫌が悪くなりたいのは私のほうなのだけれど。
先生は薬を一包化しましょうと1回に飲む薬をまとめてくれた。最初からそうしてくれよ、と私は心の中で悪態をついた。
だが、薬を一包化してもきちんと飲めなかった。
父は日々の慣れない家事に辟易していた。ご飯なんて作ったこともないのだ。両親の食環境は明らかに悪化していた。
しかも母のご飯なんて興味の無い父は自分の好きな惣菜しか買って来ず、母はそもそも父が気に食わないので気に入らない惣菜は食べない。
悪循環。年を取ると栄養=生きることに直結する。
ケアマネさんに薬のことを相談すると調剤薬局に薬の管理をお願いしましょうと提案してくれた。1週間1度、薬剤師さんが入って薬をセットしてくれる。
そして毎日の食事もケアマネさんおすすめの宅配弁当と契約した。
あと訪問看護ステーションと、訪問診療所とも契約した。週1回の看護師さんによる訪問と月2回訪問診療の先生に来ていただく。
私は契約書ばかり書いて印鑑を押す。
私は1週間に1度おかずを実家に運んだ。
こうして1年が過ぎて行った。
実際に介護しているのは父で、私は病院の付き添いと週1でおかずを運ぶ。そんな生活だった。
だが、父が宅配弁当を解約してしまう。
母のために頼んでいる弁当を止めてしまったのだ。
その理由は・・・。
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