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タンスも本棚も捨てた。

noteを始めた頃、断捨離の話を書いていた。

ここ数年でわたしは家中の大きな家具を捨てた。
洋服ダンス、本棚、机、エレクトーンにアップライトピアノ、シンセサイザー、楽譜、本、推しグッズ、捨て過ぎて思い出せないくらいだ。

年を取ってまた鍵盤が弾きたくなったら卓上の小さなキーボードを買おうと思っている。

マンションに備え付けのクローゼットと押し入れ以外の床にはみ出す収納をすべて撤去したのだ。

もう今や、何がそこにあったかすら思い出せない。ということは、今のわたしには無くても良かったということだ。
大きな洋服ダンスの無い生活は良いものだ。
クローゼットだけで事足りている。

子どもたちが幼稚園で作った工作なども今まで見返したことがないので捨てた。全く思い出さないし、何より本人たちが覚えていない。そういった思い出の品のデジタル保管も止めた。

部活の道具も、服も、本人たちが家に置きっぱなしの物はいらないものと見なし、了承の上、捨てた。
学校のアルバムと賞状(これも今や不要の産物だが)だけ残してある。

大物を捨ててしまうとあとは小物だ。
昔のカセットテープ、MD、たぶん自分の演奏や懐かしいものが入っているがわたしは音楽が無いと生きていけない人ではないので、そろそろ処分しようと思う。

来年以降、ようやく息子への仕送りが終了するので、テレビ台をスタイリッシュなスタンドに変えることと照明器具をスマート家電対応のものに変えるのが目下の夢である。

今、悩んでいるのはベランダの植物だ。

自称ベランダーのわたしだが、今年は尋常ではない夏の暑さで大部分の植物が溶けたり枯れたりしてしまった。これは植物を減らせという警告ではないかと思っている。今正直、植物への興味が前より無くなっている。

趣味はベランダガーデニングです。

とは言えない状況なのだ。ここらで一旦整理するか…。
この植物への興味がソゲてしまった理由は夏の暑さだけではない。
去年全国的に勃発したカメムシ騒動だ。わたしはベランダで過ごす時間がカメムシへの恐怖で少なくなってしまった。
あちこちにコロコロとカメムシが転がっているのだからもう生きた心地がしない。
植木鉢を持ち上げるたびに声にならない絶叫を繰り返すのに疲れたんだよ、パトラッシュ。

いつか使うかもしれないと取ってあった植木鉢も一旦処分するかな。カメムシが死んでたら洒落にならん。

カメムシがいなくなって、始めたくなったら始めればいいのだ。

そして断捨離は続くよどこまでも。






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