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私の味は伝えないほうがいい話。

私は嫁ちゃんから見ると姑になる。
古い女だと?いやな漢字だ。

息子が結婚してからの話ではなく、私が結婚した頃の話をしたい。

まだ付き合い始めで夫の家に遊びに行ったときに煮麺を出してもらったことがある。

薄味だがとても美味しかった。

付き合って10ヶ月後、阪神大震災があった。
それをきっかけに私たちは結婚した。
自然災害で日常が簡単に崩壊するのを目の当たりにして離れたくなかったのである。

私の姑は私たちが遊びに行くと例えばお寿司やお弁当を買ってきてくれる人だった。

手料理ではなくスーパーなどでお惣菜を買ってきてくれる。私たちが遊びに行くと手料理を一生懸命作る実母とは正反対だ。

このことは私にとって大変参考にすべき良い例であった。私の断捨離の記事でも少し触れている。お時間のある方には読んで欲しい。

姑はサバサバしているがとても気遣いの人なのだ。たぶん私と同じく料理があまり好きではない。下手とかではなく。むしろ上手だ。ただ面倒くさいのだ。

もし、遊びに行くたびに姑の手料理がたくさん出てくる家だったら私は少なからずプレッシャーを感じていただろう。夫が生まれ育った味に近づくために。

姑は嫁の私にそんなプレッシャーを感じさせないようにお惣菜を買ってきたのではないか?きっとそうなのだ。そういうところで気遣いができる人なのだ。

私が玉ねぎの味噌汁が好きなのを知ってからは買ってきたお惣菜+手作りで玉ねぎの味噌汁を作ってくれるときもある。

ちょこっとだけ夫の家の味を垣間見る貴重な味噌汁だ。

そんなこんなで次は私が姑になったわけだが
私は自分の姑を見本としている。

嫁ちゃんは私の料理の味なんて覚えなくて良い。夫の実家の味なんてどうでも良いのだ。
自分のお母さんの味を参考に自分の味を作れば良い。
これから自分の家族と暮らした以上の時間をうちの息子と歩んでくれるのだから。

私はこれからも手料理を出すことは少ないだろう。料理に自信がないのだ。一応カレーもハンバーグも肉じゃがも作る。でも義務感からだ。得意な料理は…わからない(困惑)

何より、1番の理由はうちの姑もそうだったようにいつ到着するかわからん息子夫婦に料理を作って待つのが面倒くさいからである。


なんか過去の話みたいになってしまったが姑は72歳で健在である。



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