介護の始まり⑥レスパイト入院
母のショートステイの日を楽しみにしていた父。やれやれやわ。とその日を指折り数えていた。
そしてショートステイ当日。
なんとあろうことか、父はショートステイをキャンセルしてしまった。
理由は「やっぱり可哀想だから」
ちょっと待って。自分の時間が無い無いと言うてたのはどの口や?
ショートステイの施設さんは「当日キャンセルはよくあること(体調的に)またいつでもいらしてください。」とのことだった。すみません。ほんっとにありがとうございます!
ショートステイの日はヘルパーさんにもお休みって連絡してもらってるのに、お母さんのオムツ交換とかどうすんの?あとさき考えないんよなぁ。
ケアマネさんから連絡あり、ヘルパーさん、見つかりました…もう感謝しかない。
私が働いているため、ケアマネさんとの連絡はショートメールを利用していた。
ケアマネさんに次回のショートステイの予約を入れていただいた。
ああ、なんだかもう時系列が分からなくなってきた。
この頃から父は頻繁に夜中のトイレ介助が限界と言ってきた。だからショートステイに申し込んだんだが。
ケアマネさんからレスパイト入院を勧められた。レスパイトって何?初めて聞いた言葉だった。
レスパイト入院とは。
なるほどなるほど、訪問診療の先生に相談しなきゃな。
入院先はすぐに決まり、説明会が行われた。父と私、ケアマネさんとヘルパーの主任さんが立ち会ってくださった。
レスパイト入院は最大60日。約2ヶ月、母をお願いすることになった。この頃から介護施設への入居を考え始めた。
母は介護関係者にすごく恵まれていたと思う。ケアマネさんはじめ、皆さんの連携の素晴らしさには本当に感動していた。仕事とはいえ、ここまで尽くしてくださるのか、と私は全介護関係者の皆様へのリスペクトが止まらない。
最上級のありがとうございますを伝えたい。
ツラツラ書き綴っているが、私は母の介護をしたわけではない。
ケアマネさんはじめ、連絡と手続き一切を仕切っていただけだ。主たる介護者は父だ。
だからこんな文章を書いていることに介護してないくせに、と思われるかもしれない。思われてもいいのだ。私はこの2年で円形脱毛症になってしまった。自分にとってストレスがフルだったことは確かなのだ。
そして介護は外注することしか考えて無かったし、真っ只中に自分を置くことは無い。私が壊れてしまうからだ。日々、愛する親の介護を在宅でされている方は何かしら愛情と覚悟があるからできるのだと思う。仕事を辞める気もないし、自分の生活を犠牲にすることはできない。私にはそんな覚悟は無いのだ。
両親に愛情は無いのかと言われたら人並みにはある、と思う。
私はたぶん人として何かしら欠落しているのだ。介護を外注できる程度にドライな感情を持っている。
そうだ。わたしは両親にとってのアレクサなのだ。フットワークの軽い便利なアレクサ。そんな感じ。