旧友と再会したらお互い変わっていた
こんにちは〜オイラは須ノ内にに。
最近は引きこもって終日パソコンをいじるばかりなので、投稿企画の中からひとつまみ。
「最近の学び」について。
オイラは内向的である以上に薄情者だ。
価値観の合わない相手とは、無理して交際する必要がないという結論になってしまったからだ。
先日、旧友二人と再会した。内向的なオイラから誘うわけがなく、相手からだ。
旧友に会えたのだ。もちろん楽しかった。良い刺激を受けた。
だがこのノリをかつてのように毎週、もしくは隔週は少し気が引ける。
二人とも変わっていなかったといえば変わってない。
変わっている点を挙げるなら、二人の個性に拍車がかかり、オイラの個性とは反対方向に進んでいることだ。
二人は元々社交的だったが、さらに好んで社交的に、交際にお金と時間をかけ、人との交流を楽しんでいるのが伺えた。
対してオイラはどうだ。冒頭で伝えた通り引きこもり、腰は重く、筆無精。
なけなしのお金を誰と共有するでもない娯楽に注ぎ込んだり、自己投資に使う。
何もかも真逆である。
学生時代も決して性格は合うわけではなかったが、合わないなりに良い刺激を受け、共通の趣味や話題で盛り上がった。
そんな二人は今は会えば常に談笑し、カラオケに昼下がりから終電までこもり、交流のために躊躇いなくお金や時間を費やす。
オイラは自分から話を振れず、全肯定人間になるしかない。音楽は好んで聴くわけではないのでアニソンで盛り上げるしかできない。フッ軽族に憧れてはいるが、人と会うと良くも悪くも疲れる。
遊んでいる最中、オイラは楽しく振る舞うことができなかったかもしれない。それに遊んだ後も、次の約束をしていなければネット上で雑談も特にしていない。たわいない話をするのが苦手だ。せっかく誘ってくれたのに無下にしてしまった気がして申し訳なくなる。
でもこれ以上、虚勢をはって努めて交際するのは誰も幸せにならないことが目に見えている。無理をして再会した結果がこれなのだ。薄々わかっていただろうに。
無理をしても良いことはない。
自分にとっては慣れないことでも一般的に当然のことだからといって、自分もそうであると無理をして振る舞うべきではない。
自分は内向的で普段人と関わらないが、友人や同僚とたわいない付き合いをしたり、人間関係の幅を広げるのは当然のことだからといって(少なくともオイラにとって他者はそう見えている)、価値観の合わない相手は旧友であっても努めて交流を続ける必要はない。
ただ、今回自分を誘ってくれたことに感謝している。この友人を筆無精な自分なりに尊重して付き合いたい。
そんな、内向的な自分には貴重な学びを得た。
それではまた明日。
感想やメッセージなど、マシュマロから送ってくれると嬉しい。
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