一点透視図法。キューブリックの構図に癒される〜北海道稚内市を中心に。
写真を整理していたら、コロナ禍に入る前の夏、北海道稚内市を旅したときの写真が大量に出てきました。あのときはサロベツ原野とはどのようなところなのか、自然観察目的で行ったのだけど、目の前に次々と現れる一点透視図法の風景にココロ奪われ、やがて旅の目的がそっちに変わって行ったのでした。
この構図、映画監督のスタンリー・キューブリックが多用したことでも知られています。しばらく後で気づいたのだけど、この構図の風景を眺めながらクルマを運転していると、頭の中に浮かんでは消えるいろいろな思いが、すっきりサワヤカに整理されて行きます。
このあたり、オートバイに乗る人には聖地のようでもあり、今年の夏にお勧めの旅先でもあるので、写真を中心にまとめておきます。
留萌から稚内に至るオロロン街道。
旅の始まりは旭川でした。旭川空港でレンタカーを借り、行きたい店がいろいろあったので、その日は旭川駅の見えるホテルで一泊。そして翌朝のようすがこの写真です。何気ない早朝の駅前ですが、さすがに北海道ですね。すでに一点透視の構図が見え隠れしています。
旭川から士別方向へ、内陸を真っ直ぐ行く道が近いようです。でも急ぐ旅ではないので、まず留萌に出て、日本海沿いの道、通称『オロロン街道』を北上することにしました。
北海道の原野のような道を走りながら、やがて農地が現れ、続いてガソリンスタンドやクルマの販売店が現れると、「あ、次の街が近いんだな」と思う。街の隅の方には、たいてい床屋さんがありますよね。
やがて天塩川流域の天塩市に入る。このあたりに日本最北端の田んぼがあると聞いて、探してみたもののわからなかった。雨も強くなってきたので、とにかく先を急ぎましょう、と。
はるばる来たぜ、稚内。ここは国境を学ぶ街。
稚内かぁ。とうとう来てしまったか。などと、たどり着いた実感は、道路上の行き先表示を見ると湧いてくるものです。
北防波堤ドーム。なんなんだ、これは!
稚内港の《北埠頭が旧樺太航路の発着場として使われていたとき、ここに通じる道路や鉄道へ波の飛沫がかかるのを防ぐ目的で、昭和6年(1931)から昭和11年(1936)にかけ建設された防波堤です》(稚内観光情報より)とのこと。
ここが旧樺太航路への通路だったということは、かつて、この北にも日本があったということ。そして第二次世界大戦後、旧樺太に住んでいた多くの日本人が、着の身着のまま北海道まで引き上げてきて、ここを歩いたはずです。
そしてその中に、母親とともに引き上げてきた昭和の大横綱、少年時代の大鵬の姿もあったとのこと。
稚内の道の駅、『稚内副港市場』に併設された『稚内市樺太記念館』は、国境を接する稚内市ならではの資料館で、とても貴重です。
かつて北の島や海には、土地を所有するという概念を持たない平和な人たちが暮らしていた。そこに北から南から、違う文化を持つ人たちがやって来て、それぞれが領有を主張し、歴史が大きく動き始める。
入場無料、資料の閲覧も写真撮影も自由。もしも稚内に行く機会があれば、ぜひとも訪れてほしい施設です。
さて、と。北の国境について学んだ後は、再び一点透視の世界へ戻ろう。
湿原に木道が敷かれている理由は、自然保護だけではないのです。
翌日はいくぶん天気が回復したので、利尻富士が見えるかな、と思って再び昨日の道に戻ったのだけど見えませんでした。
木道を吹き渡る風が心地よい… などと書きたいところだけど、湿原ってけっこう怖いところなのですよ。
まずこの木道は、なぜ敷かれているのか? もちろん何十万年もかけて育った貴重な自然を守るためでもあるけれど、もうひとつ、危ないところに踏み込まないためでもあるのです。
なぜなら、こうして見ているだけではサワヤカな草原のようだけど、ここは湿原。上からのぞき込むと、けっこう水たまりなのです。そして水たまりの深さもさまざま。中には深さ数メートルの穴もあり、そこに落ちた動物は、草がからまって出てこられなくなるのだとか。もちろんニンゲンでも同じこと。
怖いよね。僕はそういう話を聞くと夢に見てしまうことがあります。だからこそ、木道を大切にしなくてはなりません。踏み外してはなりません。自然はこうして、いろいろな方法で身を守っているんですね。
最北端のいろいろ。
せっかく稚内に来たのだから、いろいろな最北端も見ておきたい。で、おなじみのこちらから。
オホーツク海沿岸の一点透視構図。
ここから先も写真中心に繋いで行きます。
そして翌朝は、オホーツク海沿いに少し戻り、興部(おこっぺ)という街から山に入り、旭川空港を目指しました。
これほど同じ構図を見ているうちに、浮かんでは消えるいろいろな思いが、ひとつひとつ整理されて行くような気分になるのです。
以上です。話が横道に逸れるといけないので今回は端折りましたが、サロベツ原野にも稚内にも話したいことはたくさんありました。その話は、いずれ改めて。最後にひとつだけ、稚内のツブ貝がとても美味しかったので、記念に貼っておきます。
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