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ブルーライトヨコハマたそがれベイブルース〜初級編。

僕は神奈川県民のくせに、横浜にはあまり行ったことがない。小学校5〜6年生の2年間くらい住んでいたことはあるけれど、かなり内陸だったし、県庁所在地とは言っても、普通、市役所には行っても県庁に行く用事なんて無いでしょう。
ということで、快晴で風の無い休日、久しぶりに横浜を散歩してみました。関内駅で降りて、中華街方面に行くと混雑していそうだったので、山下公園へ。

馬車道は、外国人居留区のメインストリート。

あまり語られることは無いけれど、関内の「関」とは関所のことなのです。
幕末期、横浜に外国人の居留が許されて間もなく、地元住民とのトラブルを防ぐためという理由で、居留区が分けられ、間に関所が設けられました。その関所は今の馬車道と伊勢佐木町の間に架かる吉田橋で、ここにはかつて川が流れていました。ちょうど、長崎・出島の入り口ような格好です。そして、ここから海側、外国人居留区を関内、伊勢佐木町側を関外と呼んでいたとのこと。
1869年に架けられた吉田橋は今も残っていますが、今回は反対側の馬車道へ。この道こそ、外国人居留区のメインストリート。横浜が開かれて行く礎となった通りなのであります。
とは言え今では、どこにでもありそうな普通の道。ガチ中華風な店の前を何軒か通り過ぎると、間もなく左手に歴史博物館が現れます。ここから先は、名建築が並ぶ横浜港の始まり。

馬車道の顔とも言える貫禄ある建物は、神奈川県立歴史博物館。寄って行きたいんだけど、天気がいいので散歩を優先しました。
博物館の裏口。錆びたドアがシブいので撮っておこう。

ここまで来ると、必ず見に行きたくなる建物があるので寄り道しました。
それは日本郵船横浜支社ビル。横浜で、いちばん好きな建物だったこのオフィスビルは、現在閉館しています。館内の『日本郵船歴史博物館』も、2026年9月いっぱいまで長期休館中。なぜなら、東隣に高さ99mという巨大ビルが建てられるから。

竣工は1936(昭和11)年。関東大震災で被災した初代横浜支店に代わり、創業50周年事業の一環として建てられた。設計は和田順顕。

「横浜よ、オマエもか」と言いたくなる。この隣に、今やありふれた複合ビルが覆い被さるという景観、なんだかなぁ。
とは言え、この写真のビルは解体されずに、ホテルとして改装されるとのこと。ロビー以外は自由に立ち入れなくなるわけだ。京都・清水坂の廃校を利用した『ホテル青龍』のようなイメージかな。宿泊費はどのくらいになるんだろう?

ホテルになったら、「NIPPON YUSEN KAISYA」の文字も見ることができなくなるのだろうか?

15年くらい前、このビルに仕事場を借りていた知人がいた。一度だけ行ったことがあるのだけど、石造りの階段や床が広くて、ゆっくり昇降するエレベーターには貫禄があって、とても良かったのですよ。あの時、写真を撮っておくんだったな。

さてと、気を取り直して大桟橋へ。

山下公園方面に歩きながら、遅めのランチを取っておこうと思った。お店は横浜シルクセンター前の洋食屋さん、『スカンディア』。
このお店は僕が子どもの頃からあったのだけど、あまりに目立つ場所にあるのでつい敬遠していました。そして初めて入ったのがコロナ禍の真っ最中。
あの時は予約も無しにふらっと入ったところ、実に感じのいい応対、心のこもった洋食メニューの数々。お値段もとてもリーズナブル。もっと早くから来ればよかった、と後悔しました。

創業は1963(昭和38)年。横浜港に来た人であれば、必ず目にするであろうこの看板。
店内のステンドグラスが美しいのです。

店内は混んでいて、このステンドグラスの前で10分ほど待ったけれど、それでいいのです。コロナ禍の頃の寂しさに比べれば、ね。
この日、大桟橋には中国からの大型客船が停泊していて、その乗客たちで混んでいたようです。

オリジナルのランチプレートが食べたかったけれど、この日は売り切れ。肉のミックスプレートにしました。牛、豚、鶏、いずれの肉も大きすぎず、ご飯も添えて、ちょうど適量で収まりました。
店を出る頃には空いていた店内。ここからの眺めは心地よし。
このお店、夜の眺めもよいのです。奥の建物は横浜税関本館庁舎。撮影は2022年の秋。

それでは、店を出て左、左、と回って、一本裏の通りから大桟橋へ。

大きい客船が停泊している。

メインストリートから少し離れた船だまりには、子どもの頃に見ていた横浜の面影が残されています。

この写真の真ん中奥に見えるのは、ビルではなくて船なのですよ。見に行ってみよう。
木造の、デッキを模した大桟橋。どこに座っても日なたぼっこができる。
そして振り向くと、この船。マンションじゃなくて船なのです。昼の間は乗客が下船して付近を観光。夕方6時頃に、大きな汽笛を鳴らして出て行きます。

太平洋を254回も往復した、氷川丸にも行ってみよう。

横浜港に来れば、誰もが目にする氷川丸。思えば波瀾万丈の歴史を乗り越えてきた貨客船ですが、氷川丸にも幼稚園の遠足で来て以来、入ったことが無い。いい機会だから見に行こう。見学料は一般で300円ぽっきり。

どうですか、この勇姿。海洋国日本の心意気。竣工は1930(昭和5)年。全長163.3m。船幅20.12m。総トン数11,622トン。最高出力18.38ノット。船客定員286名。

結論から言うと、ここは来てよかった。たった300円ぽっきりで、昭和初期に建造された最新鋭船の、一等客室や社交室から、三等客室や機関室まで、そのままの姿を見て回ることができるのです。

一等食堂のテーブル。戦前のセレブたちは、ここで何を語り合ったのでしょうね。
一等の子ども部屋もあったりする。
一等客室。シアトル〜横浜間の船賃は昭和初期の500円。当時は1000円あれば家一軒が建つと言われていたので、今で言うと数千万円?
デッキ間を移動する階段は、こんな風。
とかく武骨になりがちな通路にも、所どころにこのような調度品がある。
そして機関室がデカいのだよ。ここに来ると、身長2cmくらいになって、クルマのボンネットの中に潜り込んだような気分になる。

そう言えば昭和13年、カイロでのIOC総会を終えた嘉納治五郎は、アメリカを経由して氷川丸で帰国する途中に肺炎を患い、横浜到着の二日前に氷川丸船上で亡くなったのだった。棺が下船するときには、オリンピック旗がかけられていたという。

そして氷川丸は、戦時中は病院船として働いた。3回も触雷したものの、沈没しなかった。という武勇はともかく、自然災害の多いワガクニには、今こそ病院船が必要じゃないのかな、と強く思う。もっと大きな船を作れば避難所にもなるし、水も食料も積めるし、海からであればどこへでも急行できる。

そして氷川丸は1960年に引退。船齢30年にして太平洋横断を254回。運んだ船客は2万5000人に達するという。お疲れさまでした。

日が暮れてきたらマリンタワーへ。

もう、横浜ツウの人が見たら、きっと恥ずかしくなるくらいの超定番コースを回っていますが、いいんです。どこへ行っても「来て良かった」と思える場所ばかりなので、初めて横浜に来る人がいたら、ぜひぜひこのコースを回ってください。
ということで、お次は横浜マリンタワーです。

どうです? ブルーライト横浜を代表する、この艶姿。マリンタワーは令和元年にいったん閉館し、大規模な改修工事を終えて、令和4年3月にリニューアルオープンしました。
これは2021年春。改修工事のために、包帯でグルグル巻きにされていた頃のマリンタワー。

横浜マリンタワーの入場券には、夕方5時半までの昼の部と、夜の6時から9時半までの夜の部がありますが、僕は夜の部をお勧めします。なぜなら、このような夜景を見ることができるからです。

東側、首都高速を見おろす。遙か彼方には房総半島の灯りも見える。タワーの高さは106m。今どきの高層ビルよりも低いけれど、このくらいの高さから見る夜景が、いちばん美しいのではないかと思う。
さっきまでいた氷川丸は、こんな感じで見えている。
北西側には、手前から大桟橋、その奥に新港埠頭、さらに奥にはみなとみらい地区。大桟橋に停泊中の大型客船の灯りがついている。

という具合ですよ。南西側には富士さんも見えるのですが、この日は曇っていて見えませんでした。

それでは最後に、新港埠頭まで歩いてみようかな、と。

マリンタワーを降りて、スパゲティナポリタン発祥の地、ホテル・ニューグランドを覗く。その後は大桟橋まで戻り、山下臨港線プロムナードと呼ばれる心地よい遊歩道を歩いて、観覧車が目立ちまくっている新港埠頭まで。

ホテル・ニューグランド2階のシブいロビーは自由に見学できます。飲食はできません。
山下公園に降りて、山下臨港線プロムナードへ。
かつての国鉄山下臨港線跡地に作られた遊歩道に登ると、まず現れるのは横浜税関本館庁舎。
道はこんな感じさ。
大きな汽笛に振り向けば、あの大型客船が出て行くブルーライト横浜。

プロムナードを終点で降りて少し歩くと、ご覧の夜景に辿り着きます。

これは馬車道の万国橋から見るおなじみの夜景。
あの観覧車を、近くから見るとこんな感じ。19時29分なんていう半端な時刻ではなく、もっとカッコいい数字が並ぶ時間まで待つべきだったかな。

さてと、ここまで来れば野毛まで行って、軽く焼き鳥など。
と思ったけれど、AppleWatchによると、すでに1万7666歩も歩いていた。今日はこのくらいにしといてやる。馬車道の駅から帰ろう。
やはり、たまに来る横浜は楽しいじゃん。この次は山手や本牧、あるいは伊勢佐木町あたりの、ディープな横浜を歩いてみるかな。
おしまい。

最後に軽くハンバーガーなど、と思って注文したら、とんでもない大きさだった。








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