"宣言明け”最初の旅は東京観光④:清洲橋編
佃島に住んでいた2年前までは、毎日隅田川を眺めていた。部屋からは見下ろすことができたし、働く船がゆっくり航行するようすを、ぼんやり眺める時間が多かった。会社から歩いて帰るときも、銀座〜築地〜佃大橋と歩いているうちに、慌ただしさを忘れることができた。部屋を出れば散歩であれジョギングであれ、やはり隅田河畔に出ていた。何たって人通りが少なく広く快適な道が、勝どきから両国まで続くのだ。ジムに通う必要は無かったな。
そんな、あまりに見慣れていて気にも留めなかった隅田川の眺めも、しばらく見ないうちに禁断症状が現れる。東京には人の流れを眺めて楽しむという、ゆったりした時間の過ごし方があるけれど、それと同様に、川の流れを眺めるという楽しみもある。東京は広く、川のない地域も多いけれど、ロンドンにはテムズ川があるように、パリにはセーヌ川があるように、東京には隅田川がある。これはとても得がたいことではないだろうか? そのありがたさを思ったのは、東京から引っ越した後だった。住んでいる間には気づかないことが、本当に多いものだ。
人形町から清洲橋へ。
この日は八重洲で打ち合わせを終えた後、これもまた禁断症状が現れていた人形町へ。この街には、すき焼きや鍋物の料理の老舗が多く、昔ながらの飲食店が軒を連ねる。それに加えて、これまた昔ながらの洋食屋や喫茶店も多く、昭和な気分に浸るには、とても良い街なのだ。ざっと見た感じでは、僕が何度か入ったことのあるお店はどこも無事のようだった。
人形町の真ん中。新大橋通と人形町通りの交差点近くにある「水天宮」が、この街のランドマークであるならば、飲食店は甘酒横丁を中心に広がる。甘酒横丁の突き当たり近くには明治座があり、江戸庶民の娯楽の名残が色濃く残る街。そんな人形町の隅の方で、若い夫婦がひっそりと店を営むお寿司屋さんを覗く。この半年をどう乗り越えたのか、などなど、どこに行っても同じ話題から入り、あっという間に酒類提供の制限時間を迎え、店を後にする。でも8時オーダーストップだと飲み過ぎなくていいな、とも思う。そしてほろ酔い加減で、再び懐かしい隅田川へ。
清洲橋をしみじみ眺めてしまった。
清洲橋は佃から両国までのジョギングコースの、ちょうど中間くらいにある。隅田川は橋の博物館とも言われるほど、それぞれ全く違う構造を持った橋が並んでいて、建築に詳しくない僕でも充分に楽しめる。人それぞれ好みも分かれそうで、僕の場合はこの清洲橋がいちばん好きなのだ。ドイツのケルン市にあったヒンデンブルク橋の大吊橋をモデルにしているという清洲橋の横だけは、ジョギングの途中でも素通りできず、必ず写真を撮っていた。
引っ越した頃には耐震工事の足場で覆われており、見ることはできなかった。そして2年ぶりのご対面。相変わらずの男前なのだ。以前はもっとグレーに近かったと思うけれど、少し青が強くなった印象。北斎ブームに乗っかった「ベロ藍」なのかな? そして以前はとても暗めの赤い明かりでライトアップされていた。今ではもっとハデな灯りになったらしいけど、この日は消えていて暗く、より一層静けさを際立たせる。そうなのだ、夜の隅田川は静かなのだよ。
この橋の上から見る東京スカイツリーはこんなです。ここで深呼吸。この写真の右隅には、松尾芭蕉が「古池や…」の句を詠んだ庵の跡も見える。芭蕉はここから船で千住まで遡り、そこから奥の細道への旅に出たと言われています。
清洲橋の竣工は大正14年。関東大震災の復興事業として、デザインは一般公募された。東京大空襲で破壊されたため、再建された後は吊り橋ではなくなったものの、その形は残された。何より、リベットが無数に打ち込まれた、まるで東京タワーのような鉄の建造物むき出しの姿に、戦後間もない頃の昭和を偲ぶことができます。
だったらついでに萬年橋も渡ろう。
清洲橋を過ぎ、川沿いをそのまま上流へ歩くと、間もなく川は右に支流が現れる。これは徳川家康が作った小名木川という運河で、この運河が江戸の水運を飛躍的に繁栄させ、江戸の財政や食文化の発達に一役も二役も買っている。そしてこの川を渡る小橋がこれまた素敵なのだ。その名は萬年橋。
こうしてみるとありふれた橋のようだけど、その歴史は古く、歌川広重の江戸名所百景にも描かれている。赤穂浪士が本所松坂町(今の両国、京葉道路の南側)で討ち入りを果たした後、人目を避けるために、当時は裏通りだった川沿いの道を泉岳寺へ向かい、この橋を渡ったという話を聞いたことがある。確認はしていません。この橋を渡り、再び隅田川に戻ると、右に松尾芭蕉の庵跡が見えます。芭蕉の像がライトアップされており、何も知らずに夜中に見ると、少し不気味かもしれない。
江戸の寺町、昭和の倉庫街、今はカフェの街? 清澄白河。
この界隈の最寄り駅は、都営大江戸線と半蔵門線の「清澄白河」駅。かつては倉庫街だったけれど、その跡をリノベーションしてカフェや雑貨屋やギャラリーにする若い人たちが急増中。地ビールの醸造所やホテルまでできている。ここにブルーボトルコーヒーの日本第一号店ができて以降、その傾向に拍車がかかり、賑わい始めた頃の中目黒を思われる雰囲気になり始めている。とは言え、もとは静かな寺町。急いで観光するよりも、時間があるときにカフェにでも入り、この静けさを感じるくらいの余裕が無いと、この街の良さは伝わらないかもしれない。
というわけで、もっと隅田川の橋の話をしたいのだけど、今回も長くなったのでこのへんでお開きにします。もしも興味を持ってくれた人がいるならば(いないか)、勝鬨橋の築地側橋詰めにひっそりと佇む『かちどき 橋の資料館』に行ってみることをお勧めします。ここで売られている「東京 橋のポケットマップ」はいいですよ。東京に架かる橋、全309橋の地図はもちろん、構造、形状、歴史なども詳しく解説。ちなみにこのマップの表紙を清洲橋が飾っています。