ウマ娘世界における、彼女達の歴史や人権について、ひたすら考えてみた
注:本テキストは、ウマ娘の断片的な世界設定を、筆者の浅い知識に基づき重箱の隅をつつくように、ひたすら考察をしているだけで、公的な設定ではありません。
また考察に際して、ウマ娘の世界観と相反するような、残酷な内容も含んでおりますので、あらかじめご了承ください。
あとクソ長文&妄言の塊で、ホントすいません。
ウマ娘の設定を確認してみる
異世界(現実世界)の競走馬の名前と魂を受け継いで生まれてきた少女たち。外見は腰付近から馬のような尻尾が生え、馬のような耳が頭頂部付近にある。超人的な走力を有するが、耳と尻尾以外は普通の女の子と同じ外見を持つ。
引用:wikipedia「ウマ娘 プリティーダービー」
その脚力を活かしてトレセン学園に在籍し、国民的スポーツ・エンターテイメントである「トゥインクル・シリーズ」への参加に向けて特訓に励んでいるウマ娘が多い。だが、全てのウマ娘がトゥインクル・シリーズに出ているというわけではなく、地方競馬に相当する「ローカルシリーズ」に参加するウマ娘や、人間と同じ職業に就き、人間となんら変わりない生活を営んでいるウマ娘も存在する。
引用:wikipedia「ウマ娘 プリティーダービー」
全力疾走するウマ娘の走行速度はおよそ時速70キロメートルにも達する。そのため、もしトップスピードで転倒すれば最悪の場合、命を落とす危険もあるといわれる。
引用:wikipedia「ウマ娘 プリティーダービー」
■上記の内容や、アニメなどからの情報から、さらに設定を類推してみる
●文明の最初期時点で、ウマ娘は存在している。
●我々が知る、四足動物としての馬は存在していない。
●(恐らく)女性しか存在していない。
●人間と交配可能。(※アニメウマ娘1期にて、スペシャルウィークの母親がウマ娘と思しき耳を持っており、女性しか存在しないのであれば、必然、人間男性との間で子を成すしかないはず)
●(恐らく)人間と同じ速度で成長し、最盛期で成長が鈍化する(※アニメにて、幼いテイオーに対してルドルフは容姿に変化がなかったことなど)
●人間を凌駕する、筋力・走力を持っている。
●「勝ち」に執着する、不安を感じてパドックに入れないなど、人間よりも本能的である。
●食事は人間と変わらないが、人間を超える大量のカロリー摂取が必要。
●並行世界における名馬の記憶を、一部保持している可能性がある。
(※自身の名前や、名馬のエピソードに準じた嗜好や性格であることなど)
●(恐らく)転生前と近似した場所/時間軸へと転生してくる。
●魂の元となる名馬と血縁関係にあるウマ娘が同世代に誕生した場合、特別な絆を感じる。DNA的遺伝ではないもの、血縁関係によってウマ娘になりやすい可能性がある。
(※マックイーンとゴルシ。メジロ家など)
いつ頃からウマ娘が存在しているのか考えてみる
例えば
「ネアンデルタール人の中にウマ娘はいたのか?」
「狩猟民族期にウマ娘はいたのか?」
ということだ。
この疑問への推測だが……恐らく、いなかったのではないだろうか。
この推測の根拠は「ウマ娘は名馬の、名と魂を受け継いでくる」という設定に基づく。
名馬の基準をどう定義するかだが、筆者は
「馬が固有名を持っている」
「該当する固有名が、ある程度の人数(ふんわりした定義……)に認知されている」
としてみた。
とすると必然的に、言語が生じており、かつ馬が役畜として人間と共にあった(我々の世界での)時代以降と考えられる。
設定考察で記載した、魂の元となる馬の活動年代と場所と近い所に転生するという意味でも、上記の想定になるのではないだろうか。
つまり出展画像のように、古代文明の発展と共に、ウマ娘は人類の歴史に登場してきたと考えられる。
人類とウマ娘の関わりを考えてみる
■ウマ娘が社会に認知される過程を考えてみる
ウマ娘は当初から人類に受け入れられたのだろうか?
恐らく、残念なことにそうではないだろう。
人間の両親から突然生まれてきた、動物の耳と尻尾を持つ娘。
見た目の異形と、育成に際しての食料面での負担を考えると、ウマ娘を育てるというのは並大抵のことではない。
……残念ながら命を絶たれてしまったウマ娘のほうが多かったに違いない。
一方で王侯貴族、豪農以上の中では、隠しながらウマ娘を育てていた者も居たはずだ。彼らはやがて、娘が超人的な力を持っていることに気付き、その力を活用しようと考えるだろう。
■馬がいない世界に登場したウマ娘について考えてみる
役畜としての馬がいない世界ではあるが、その点はロバが代わりを担ったのではないかと考える。
速度面で馬に劣るロバではあるが、運搬能力には優れている。
ロバを馬の代わりとして、ウマ娘世界の文明は、我々の世界と似たような発展をしていったのかもしれない。
そこに突如として出現した、超人的な身体能力を持つ存在、ウマ娘。
ある程度ロバによって馬の代用が済んでいる世界において、ウマ娘は馬とは全く異なり、超人的な存在と位置付けられたことだろう。
その力は味方にとっては心強く、敵対者にとっては恐怖である。
権力者達はこぞって、信頼できるウマ娘を求めたに違いない。
■社会に見出されたウマ娘の扱いについて考えてみる
農奴階級に生まれたウマ娘は、家族にとって成り上がりのチャンスに見えたことだろう。
一方で学が無い周囲の人間からは、その超人的な力と、自分たちと異なる姿は恐れられたはずだ。
ウマ娘と人間との共存のノウハウが蓄積するまでは、不幸な事故も実際に起こってしまったのではないか。
男権社会が確立した文明に、ウマ娘が台頭してきた時、そこには歪んだコンプレックスなどもあったことだろう。
そういった社会が、ウマ娘を英雄や超常の存在として見る一方で、自分たちと違う存在として一線を引いただろうことは、想像に難くない。
ウマ娘の漢字が「人」という字に耳と尾を付けた象形文字ではなく、全く違う動物を象っているのは、彼女達が『人ではないもの』としてみられていたからではないのか。
結果として彼女達を庇護できる権力者達のもとにしか、ウマ娘たちの居場所はなかったのかもしれない。
■権力者たちとウマ娘の関係について考えてみる
権力者達の庇護下におかれるウマ娘たち。彼女達はその希少性と強力な力によって様々な場面において活躍したはずだ。
その強力な身体能力の恩恵を受ける一方で、彼女達を異形・異能として恐れ、その力を管理しようとした権力者は多かっただろう。
これはウマ娘が注目されるほどに、その傾向を増していったに違いない。
もう一つ忘れてはならないのが、ウマ娘との恋愛だ。
彼女達はその力によって見出されたが、若く美しい女性としての側面も持ってもいるからだ。
権力者達のもとにしか居場所を見いだせなかった彼女達にとって、主となる人間に見限られるのは死活問題だ。懸命に仕事をこなしたことだろう。
一方で主の側も、そんなウマ娘に対して絆を強く感じる者、少なからずいたであろう。
しかし彼女達が、妻や愛妾になれたかというと疑問が残る。
彼女たちほど、暗殺に向いた存在はいない。一度近づけてしまえば、人間では身体能力の面で太刀打ちできないからだ。
権力者達がウマ娘をいくら愛そうと、周囲が2人きりにはさせなかった可能性が高く、権力者は信頼できるが、替えが効く家臣団とウマ娘の縁談を進めたことだろう。
(メジロ家などは、もしかすると、そういった貴族的なウマ娘の系譜かもしれない)
そんな世界でも、年経ても美しく忠誠を捧げるウマ娘と、彼女達に命を預ける王族との間での恋愛は絶対にあったはずだ。
困難を乗り越えて結ばれる話は、後世に美談として残っているかもしれない。
愛され、求められながらも、人との間に一線を引かれてしまうウマ娘達。ウマ娘たちの歴史は、彼女たちにとって、人権獲得のための長い戦いのスタートに他ならない。
ウマ娘世界における、ウマ娘の軍事利用について考えてみる
■ウマ娘が戦場に登場した時期を考えてみる
まず我々の世界において、馬が戦場に登場した時期と、その姿を考えてみよう。
戦場における馬の使用のうち、記録に残された最古のものは紀元前19世紀、チャリオットとしてのものである。 騎馬として用いられた最初の例は、ユーラシア遊牧民、特にパルティア人馬弓兵によるものだったと考えられている。
引用:wikipedia「軍馬」
馬車が広く使われるようになるのは紀元前2000年ごろにスポークが発明されて車輪が軽く頑丈になり、馬車を疾走させることが出来るようになってからである。
引用:wikipedia「ウマ」
wikipediaの記述を参考にすると、馬が軍事的に利用されるのは紀元前2000年頃。チャリオットを引くという形である。
ではウマ娘たちも、チャリオットの登場と共に戦場へ立ったのだろうか?
紀元前4000年から3000年ごろ、すでにその4,000年ほど前に家畜化されていたヒツジ、ヤギ、ウシに続いて、ユーラシア大陸で生き残っていたウマ、ロバの家畜化が行われた
引用:wikipedia「ウマ」
ウマ娘の出現時期が、我々の世界で馬が役畜として人間との絆を結んだタイミングと重なると考えると、その登場は紀元前4000年~3000年と考えられる。
当然チャリオットなど存在しない時代だ。
しかし彼女達の身体能力は驚異的であり、チャリオットの有無など関係なく、戦働きを期待されたに違いない。
つまりウマ娘達は、歴史に登場すると同時に、兵士としての役割を背負わされてしまったのではないだろうか。
彼女達の中に微かな前世の思い出があるとすれば、当時のウマ娘は農耕や運搬の仕事を望んだはずだ。
しかしロバという代用が存在している世界において、彼女達をロバの上位互換として扱うことを権力者達はしなかっただろう。
また現実の馬と異なり、彼女達は非常に希少性が高い。
子を成しても必ずウマ娘になるわけでもなく、そもそも転生の元となる魂も、「名馬」という絶対的な制限があるからだ。
彼女達の力を使うのであれば、他の存在での代用が効かず、かつ最も費用対効果に優れた運用が選ばれたことだろう。
こうしてウマ娘たちは、本心では望まぬまま、主の求めに従って戦場へと向かったに違いない。
■兵士としてのウマ娘を考えてみる
兵としてウマ娘の運用を考えた際に、真っ先に思いつくのは騎馬兵の代わりだが、本当にそうなのだろうか? 兵士としてのウマ娘のメリット/デメリットを考えてみたい。
<メリット>
⇒人を超える身体能力
⇒高速での移動能力
⇒人間の兵器をそのまま運用できる
⇒遠目から人間との違いが分からない。
<デメリット>
⇒兵数を揃えるのが難しく、損耗した際のリスクが大きい
⇒移動速度が速く、他兵種との足並みを揃えにくい。
⇒牧草や野草を食べられる草食動物と違い、人間の食料を大量に必要とする
⇒超人的な身体能力に比して、肉体はそこまで頑健ではない
⇒(恐らく)草食動物の本能的な部分で戦場に向かず、ストレスを抱えやすい
改めて列挙すると、前線での正面衝突には向かない存在であることが分かる。
ウマ娘を兵士として運用する場合は、側面や背面からの奇襲が最も効果的だが、騎兵のような運用をしようと考えると、兵数の少なさがネックになる。
恐らくウマ娘の人数を動員できない場合は、高い移動能力と単身での突破力を活かした、斥候や伝令、諜報活動(特徴的な見た目を補う工夫が必須だ)などが、少数のウマ娘を活かす配属だと考えられる。
一方でウマ娘の数を揃えられるような大国においては、ウマ娘兵は騎兵と同様に奇襲性と攻撃力に富んだ、強力な精鋭部隊となったはずだ。
そして名馬の魂を持って転生してくるウマ娘を豊富に抱えるのは……そう遊牧民である。
ウマ娘世界において、スキタイ人、フン族、モンゴル民族は、ウマ娘兵をもって猛威を振るったに違いない。
彼らが運用した弓騎兵。この弓という武装もまた、ウマ娘と非常に相性が良い。
騎乗射という熟達の技術を求められる技だが、ウマ娘自体が馬と射手を担うことで、命中精度は我々の世界よりも上だったのではないだろうか。
また草食動物の本能や、衝突時の負傷リスクの大きさという面でも、射撃という手段を選べるに越したことはない。
前世において弓騎兵の愛馬として名馬の地位を得たウマ娘であれば、本能的に弓騎兵としての立ち回りを、魂が覚えていた可能性すらある。
いずれにしても、ウマ娘世界の遊牧民族は我々が知るそれよりも、遥かに強大であったろうことは想像に難くない。
■ウマ娘兵の維持について考えてみる
ウマ娘兵は非常に強力な一方で、人間とは異なる様々問題を抱えている。
まずは食料問題である。しかしこれは国力があれば解決する問題でもある。
ウマ娘であれば避け得ない問題。それは故障のリスクと、本能的な面からくるストレスだ。
希少なウマ娘兵を使い捨てにはできない。ゆえに、これらをケアするためにウマ娘専門の医学が発展し、それに伴いウマ娘専門の軍医が居たのではないだろうか。
こういった存在がトレーナーの前進となり、現代におけるウマ娘とトレーナーというパートナーシップへと続いていったと考えれば、非常に自然である。
ウマ娘兵は練兵についても、従来の兵士と同じくすることはできない。特に走力に関しては顕著だ。 ウマ娘兵は練兵についても、従来の兵士と同じくすることはできない。 一般兵とウマ娘兵が同じ場所で走れば衝突事故の可能性がある。
彼女達の能力を鍛えようとすれば、平野部まで移動するか、専用コースを用意する必要がある。
大規模にウマ娘兵団を持つような国家であれば、後者を選択するだろう。
平時にウマ娘兵を走らせるための練兵施設。それがやがて庶民に娯楽として開放され、ウマ娘レースという競技性の高いものへと変貌し、ウマ娘の役割が兵士から競技者へと変わったのが、今日のウマ娘世界ではないだろうか。
■ウマ娘兵の変遷について考えてみる
強力な力を振るったウマ娘兵も、銃の登場によって、その力を大きく減じたことだろう。
この時点では、ウマ娘は騎兵よりも、斥候や伝令、少数精鋭での威力偵察などに運用の用途が狭まっていったかもしれない。
やがて時代が進み、銃火器が登場するとウマ娘兵の身体的優位は一気に覆されることになる。彼女達の頑健さは機械兵器と比べれば、人間と大差ないからだ。
それでもウマ娘兵は、銃を手に、我々の世界における竜騎兵/騎馬鉄砲隊に相当する形で戦場に立ったことだろう。
しかし科学の進歩は、確実にウマ娘の兵士としての価値を失わせていく。
そして迎える、第一次大戦。
戦場では、銃が一般的な装備になり、戦車が大地を駆ける時代がやってくる。
極めつけは航空機の登場だ。
移動速度、攻撃能力、偵察能力、全てにおいてウマ娘兵を凌駕し、彼女達の戦力的な価値は、「特殊な歩兵」という位置付けにまで減じたことだろう。
ウマ娘世界においても、第一世界大戦は目を覆いたくなるような死者数を出した、世界的な悲劇であったはずだ。
一方で皮肉なことに、ウマ娘達にとっては、長く続いた「兵器」としての重荷を捨てて、人として生きる大きな一歩になったに違いない。
ウマ娘の人権について考えてみる
■社会におけるウマ娘の管理について考えてみる
人権の前に、ウマ娘は社会の中でどのように管理されていたのか考えてみたい。
超人的な身体能力をもって、世に登場したウマ娘達。
その希少性や、一般人との接触時の事故のリスクなどを考えると、国家としては、その身元を厳重に管理しておきたい存在であったことだろう。
国家の中心に近いところで力を活用してもらうために、食料や医療面での体制は万全にしつつも、一方で彼女達の職業選択や、結婚などについては、大きく制限されていたに違いない。
その扱いが変わるのは、やはり第一次世界大戦終結を待つ必要があったのではないだろうか。
■第一次世界大戦後のウマ娘達を考えてみる
我々の世界でも、第一次世界大戦後は、大量に生み出された兵士や兵器が行先を失った時代であった。
飛行機乗りが曲芸飛行や郵便飛行士という破滅的な道を選ぶしかなかった時代、ウマ娘達はどうなっただろうか。
兵士としての価値が失われつつあったといえど、ウマ娘の超人的な身体能力が消えたわけではない。
そのため国家としては、管理を放棄するわけにはいかなかっただろう。
食糧配給などを条件に、ウマ娘達は戦場以外の公職へと就いたはずだ。
彼女達に与えられた、新たな戦場。きっとそれこそがウマ娘レースだ。
第一次大戦後、世界では公営ギャンブルとしてのウマ娘レースが次々と開催されていったに違いない。
ウマ娘達はついに、兵士ではなく、競技者として本来の能力を活かせる時代に辿り着いたのだ。
■ウマ娘に人権が与えられたのはいつだったのか考えてみる
第一次大戦終結後、ウマ娘達は競技者に姿を変えた。
この頃には結婚や恋愛も、ある程度ウマ娘達が自由に出来ていただろう。
しかし人権意識が乏しい時代でもある。一般人と比べて、遥かに厳しく管理されていたはずだ。
彼女達が法的な人権を獲得したのは、やはり1948年の世界人権宣言のタイミングであろう。
ウマ娘達はついに、国家の手を離れて個人として活動できるようになった。
1950年代からのアメリカの公民権運動でも、ウマ娘達は先頭に立っていたのではないだろうか。
ウマ娘世界において、黒人ウマ娘は相当な差別を受けていたと考えられるからだ。
50年代は一般にテレビが普及し始めた時期でもある。
彼女達のアイドル性と同時に、彼女達の思考や嗜好、生き方が大衆に周知されていったことだろう。
そしてウマ娘達は「遠い世界の超人」ではなく、「身体能力に優れた女性」として、真の意味で「人」として社会に受け入れられたのではないだろうか。
考えてみた結果
ウマ娘達の華々しい活躍。
しかし、そこに至るまでは数千年に渡る苦難の道のりがあったと考えると、感慨深いものがある。
完全に妄言の類ではあるが。
この内容は、昨晩38度超えの高熱にやられながら、ずっと布団の中で考えていたことを文章に起こしたものである。
なかなか頭がやられてるなと、振り返って感じる次第だ。
ここまで読んで頂いた方。本当にありがとうございます。
なお検査の結果、コロナは陰性でした。
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