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この世は全てエネルギーの交換だというなのなら、私はこの手の中に受け取れたと思うって話
去年の春くらいか、
ようやく長女との話し合いの中で
成人式には振袖を着る事が決まった。
着てもいいし、着なくてもいい。
そうやって
「あなたはどうしたい?」を聞いて来たから、
もちろん、成人式をどう過ごしたいのかも。
振袖を着ると娘が決めて
動き出した夏頃。
私の姉に実家に行ってもらって
母が誂えてくれた振袖一式を送ってもらった。
日常が忙しく過ぎて行く中で
娘が着付けをお願いした美容院と、
必要な物を確認して、
ようやく私も少しだけ参加した準備期間。
(美容室までの運転、持ち運ぶ時の風呂敷を貸すとか)
娘と美容室に諸々を預けに行ったとき、
帯留めが色褪せていたのが気になって、
せめて小物は変えるかとなり、
サイズが違った足袋も揃えての当日。
姉からも
「孫のために誂えたかのように似合ってるね」と連絡が来たほど、
本当によく似合っていた。
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少し着崩れながらも車の乗り降りも上手くなった頃、ようやく帰宅し、
ひとつひとつの解きを手伝う。
挟んでいたタオルを取り、
長襦袢に手をやった時、
娘の体温で温まった布からあたたかさが伝わって、その瞬間、何かが伝わった。
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母のエネルギーだ。
よくわからないけど、
なんか知らないけど、
そうだという確信がある。
25年前、
福島の実家の畳の部屋で振袖を脱ぎ、
洋服に着替え、
髪型は振袖姿の時のままで、
アンバランスな格好のまま、
実家のこたつに入りながら、
「お腹すいたー」
「いつか誰か着れる機会があるかもねー」
って、母がきものハンガーを伸ばしながら会話したあの瞬間まで伝わって来たんだもん。
不思議だ。
物にはエネルギーがあると言うし、
重さも軽さもあるのなら
これは受け取った愛のデカさと
これまでのあれとかこれはもう手放して
この時代をすすむ軽やかさだ。
そんな風に思う。
着物にはこうでなきゃ!もない。
娘がレースの手袋をして、好きな飾りもつける。これがダメもいいもない。
やりたかったらやればいい。
「好きにしたらいいわ」と聴こえる
母の声。
ぐるりと循環してる、
心地よい軽やかさ。
温もりを味わって
自分の中にしまってあった大切なものを
日常の中で引き出しから出してみる。
するとどうでしょう。
涙が止まらないのはなぜでしょう。
どんな形であれ、
愛されていたと気がつくのは。
生きる力が湧くのはなぜでしょう。
このわたしとあなた(誰か)との
関わりはどんなに優秀なAIにも感じとることはきっと難しい。
最高に愛おしいこと。
おめでとう!
ありがとう!