【岐阜県恵那市】秋の行楽、美濃散歩七日目 おんな城主の岩村城に登城でござる 22.11.05_13:15
秋の行楽、美濃散歩。七日目。
今日は岩村の街散歩。岩村城に登城でござる。
岩村は恵那市ということになっているが、中央本線や高速道路が通る恵那の市街から一山二山山の中に入ったところに奇跡のように存在する猫の額の平地を守るようにある。
中央アルプスを超えると南信へとつながる要害の地でもある。
お城は鎌倉幕府の御家人遠山氏宗の築上。何もまぁこんな不便なところにと思うのは今の時代だからだろうか。
日本三大山城の一つに数えられ、日本100名城の一つ。
別名霧ヶ城のお城の標高は717mの高所で、これは日本一だそうだ。
遠山氏が1572年病没すると、織田信長の五男御坊丸が幼少で養子に。
武田の信濃との国境だから難しい土地。信長の叔母おつやの方が後見人につき、これがおんな城主と言われた。
武田信玄の西上作成で秋山虎繁に攻められ落城。その条件がおつやの方が虎繁との婚姻だというから、どんな価値観だろう?おばはんにとっては悪くない話だったり・・・さては、わざと負けたな!!
そんな虎繁も武田家滅亡時織田方に降伏して斬首後さらし首。
織田信長没後は森氏が城主となり近代城郭化。
江戸時代には松平氏が岩村藩を立藩城下を整備した。
お城はさすが三大山城と言われるだけあって、山の中です。
車がすれ違うのも困難なような林道の先が天守。
ただ、山城なのに天守の真下まで車で上がれるのはありがたいかも。
下手くそなGさん運転手がよせばいいのに登ってきて、下りの車と鉢合わせてにっちもさっちも行かなくなっているのを何台も見た。街で迷惑なら山道じゃなおのこと。こんなところに来たがらなければいいのに。
こんな山の中なのに石垣なんですわ。
この石をこんな山の中まで運ばされた人たちは迷惑だったろうなぁ。
天守の下まで車で来られたとしても・・・
たいして人口がいたとも思えない猫の額の城下町。
どこからか連れてこられた人々の労働で成り上がった城なんだろうなぁと思うと複雑な気分。
城跡から見下ろしても四方は山また山の中。
面白みはない。
普通なら、取ったり取られたりの城じゃなかったことは確かだろう。
武田信玄が西上作成さえ思いつかなければ。
こんな山の中の小城にすら石垣を並べたって、戦国時代の武士の執念って何なんだろう?
当然昔はこの石垣の上に何らかの建物が建っていたわけで、それもまた建設しないとならない。
重機もない、道路もない、工務店だってロクにない時代に。
山城ね・・・いやはや、すごいことだ。