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【長野県飯山市】北信濃飯山散歩 真田ゆかりの藁葺の寺 正受庵 24.10.20_12:30
北信濃に有った飯山藩は藩主は入れ替われど、江戸時代を通じて4万石程度の小藩。
冬には雪に埋もれる地域で、藩庁の飯山城だって4万石にふさわしい程度の縄張り。
その割に、お城の西側には変に巨大な寺社町があり、いくつもの寺院が立ち並ぶ。
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島崎藤村が雪国の小京都とよんだのも頷ける気もするが、藤村の場合、比べる相手が山の中の木曽の町となると大概のところは賑やかな街に映ったのではないだろうか?
飯山市もそんな特徴に乗っかって、寺巡りの散歩道などを整備して観光客誘致をしようとしているが、今ひとつ、パットはしていない。
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そんな遊歩道の突端、最初の一寺が正受庵だ。
正受寺は道鏡慧端が暮らしたところとして有名。
慧端は、真田信之の庶子で、飯山城で誕生している。
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道鏡慧端の成果は弟子として白隠慧鶴を育てたこと。
慧鶴こそ、臨済宗中興の祖だから。、
慧端の死後、善光寺地震などもあり寺は荒廃する。
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明治期には廃庵にまでなってしまったものを、山岡鉄舟、高橋泥舟らが尽力して再興された。
関東大震災で再興事業が停滞したが、昭和期には本堂の修築と庫裏の新築が実現し現在に至るも新潟中越地震で多大な被害。
善光寺地震以来の160年ぶりの解体改修が行われた。
境内は、茅葺きの本堂がランドマーク。
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内部は見ることができなかったが、大きな堂宇は名主の家ほど。
本堂周りの土手は、白隠蹴落としの坂と言われ、慢心の白隠を慧端が蹴落としたとされる坂が。
そのような師弟の関係も、飯山藩主松平忠喬が掛川に転封になるときに袂を分かつ。
掛川に従った白雲は臨済宗の中興の祖となり、慧端は飯山に残る。
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運命だったのかもしれない。
そんなことを思いながら歩く境内。
残念ながら訪れる参拝客は誰もいなかった。
よく手入れのされたお庭がもったいない。