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伊那出張編 高遠城へ途上でござる 21.10.09_08:45
出張の休日。
折角なので高遠に観光にでかけた。
伊那の観光といえばメインは高遠になるのだが、高遠は山の中、伊那谷とはちょっと違う気がするけれども。
それでも一応伊那市の一部だし・・・。
まずはやっぱり高遠城に登城でござる。
戦国時代、高遠氏が収めていた高遠城は武田信玄に敗れて配下に入る。高遠城は武田勝頼が城主であった時代もあった。
信長の甲州征伐では、勝頼の異母弟仁科信盛が城主、武田方として最後まで抵抗し高遠城で玉砕。結局武田氏は滅亡した。
江戸時代は保科、鳥居、内藤と城主が変わる。
保科氏の時代には二代将軍秀忠の隠し子をかくまいその恩賞で、やがて山形、米沢へと出世していく。数奇な運命の話だ。
以降、諏訪や高遠というと江戸時代島流しが行われるような場所。山間の盆地は罪人を流すにはちょうどよかったのだろうか?
今も藩校が残る江戸時代、内藤家の時代は結構勤勉だったようだ。
西洋式の兵隊への切り替えも早かったらしい。
教育熱心なところは今の教育県長野に受け継がれているのだろう?
そんな高遠藩の高遠城は今では桜の名所だ。
史跡としてのお城は石垣を残すのみで寂しいけれども。
つまり、桜が咲いていない時期の高遠城を見ても結構辛い・・・。
国の史跡で日本百名城とはいえ、桜や紅葉の季節以外にはあまり見どころは・・・正直ない(笑)
縄張りだけはよく残っているけれども。
こんな山の中では、今後も開発される心配はなさそうだ。