見出し画像

【神奈川県鎌倉市】鎌倉長谷のあじさい散歩 日朗法難光則寺 24.06.16_13:15

 大仏のある高徳院からほど近い光則寺は、鎌倉の長谷寺の谷戸違いにあり元は鎌倉の御家人で寺社奉行だった宿屋光則の屋敷跡。

 日蓮が立正安国論を北条時頼に建白したのは宿屋光則を通して。

 立正安国論も、とどのつまりは法然へのやっかみから、内乱と他国侵略が起き(これが元寇の予言)日本が滅びると予言警告したもの。当然鎌倉幕府からは無視され、結果松葉ヶ谷の法難に合うことに。紆余曲折の末、悪口が過ぎる日蓮は龍の口で斬首の刑に処せられるところを、既のところで助命され、佐渡に流罪。日蓮が佐渡に流罪になっている間、弟子の日朗が囚われて宿屋光則邸の裏山の土牢に3年半(ちょっと眉唾)ほど幽閉させられることになった。そんな宿屋光則がやがて日蓮宗に帰依して屋敷を寺としたのが光則寺の始まり。

 日朗の土牢があることで有名な光則寺なのだが、今では鎌倉の花の寺と言われている。

 言われてはいるけれど、花のお寺なら長谷寺が圧倒的に有名なので、ひと谷戸奥に入るだけで観光客は激減するのはいつものこと。

 鎌倉時代のこの辺りってどんな感じだったんだろう?

 極楽寺坂の切り通しが目と鼻の先だから、ギリギリ鎌倉内という認識だったのだろうか?

 北鎌倉あたりの巨大寺院は切通の外だから、立地的には長谷の寺院群のほうが恵まれていたのかな?

 それでも、長谷寺や高徳院の混雑に比べて別世界な光則寺。

 この雰囲気がいいんです。

 本堂の縁に腰を掛けて蝉の音に聞き入るときの満たされた感じ。

 谷戸が細く長いから結構歩き疲れているのだけれど。

 長谷寺に比べてかなり狭い境内にぎゅぎゅっと圧縮されたように花が植えられていて、見どころ満載。

 しかし、境内裏の日朗の土牢への参道はオドロオドロしく、こんなところに閉じ込められたら嫌だろうなを実感。

 土牢は思いの外ドライな感じ。どちらのしても、居心地は悪そう。

 こんな山の谷間では、多分携帯電話もWiFIも繋がらなかっただろうから。

 長谷寺行くのなら光則寺を優先するべきだと、個人的には思うのだけれど。




今日の移動

いいなと思ったら応援しよう!