本居宣長記念館・本居宣長旧宅
★本居宣長記念館・本居宣長旧宅
三重県松阪市殿町1536-7
★宝塚1号墳とその出土品を観るために三重県松阪市を初めて訪問。今回の旅行を計画する際に本居宣長が松阪の人であったこと、松阪は三井家など豪商を輩出した街であることなどを恥ずかしながら初めて知った。旧松阪城址にある本居宣長記念館を見学した。(訪問したのは2024/8/24-25、先週は台風で三重県内でも被害が出ていると聞きます。お見舞い申し上げます。)
本居宣長が本業は医師であったこと、こつこつとほぼ生涯をかけて古事記を研究し著作を出版したことなど、初めて知ることばかりで面白かった。古事記に興味をもつが、それを読むためにまず万葉集を勉強し、読み解いていったという探求心や継続力がすばらしい。
◎古事記伝 再稿本 本居宣長著 巻23(重要文化財)
◎古事記伝 版本 本居宣長著 巻35
※本居宣長:「1730.5.7~1801.9.29 江戸中・後期の国学者。旧姓は小津。通称は春庵・中衛,号は鈴屋(すずのや)。伊勢国松坂の木綿問屋に生まれるが,家業の不振と商家に不向きな性格のため,母親の勇断で医学修業に京都に遊学する。上京中,堀景山に漢学を学ぶかたわら,景山を通じて契沖の歌学にふれて開眼した。やがて賀茂真淵と出会い,「古事記」研究を託されるとともに正式に入門。文通により「万葉集」や「宣命」についての質疑を続ける。後半生は「古事記伝」の完成に精力を傾注し,1798年(寛政10)に終業した。著書はほかに「続紀歴朝詔詞解」「大祓詞(おおはらえのことば)後釈」「馭戎慨言(ぎょじゅうがいげん)」「宇比山踏(ういやまぶみ)」「排蘆小船(あしわけおぶね)」「源氏物語玉の小櫛」「詞玉緒(ことばのたまのお)」。「本居宣長全集」全20巻,別巻3巻。」(山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」より引用)
※古事記伝:「「古事記」の注釈書。44巻。本居宣長(もとおりのりなが)著。師の賀茂真淵に研究の大成を託されて,1767年(明和4)の起稿以来,98年(寛政10)の脱稿まで30余年を費やした大著。90年に初帙5冊が刊行されたが,全冊の刊行を終えたのは没後の1822年(文政5)。第1巻は「書紀の論ひ(あげつらい)」「訓法(よみざま)の事」などのほか「直毘霊(なおびのみたま)」を収め,第2巻が序注および神統譜・皇統譜,第3巻以降が本文注。本文注では,全巻を訓読したうえで精深細密な注を施すが,その解釈は創見に満ちており,「古事記」研究史上の画期をなした。「本居宣長全集」所収。」(山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」より引用)
◎本居宣長旧宅「鈴屋(すずのや)」(国指定特別史跡)内部
「本居宣長旧宅は、宣長12歳から72歳で没するまで60年間にわたって暮らした家です。建物は元禄4年(1691)に松阪職人町に建てられました。その後、魚町に移築されました。宣長当時の所在地は「魚町」です。明治42年、保存のために松坂城跡の現在地に移築され、宣長当時の姿に復元し、公開しています。この建物の二階の書斎を「鈴屋」と呼びます。
宣長が医療活動をした「店の間」、「仏間」、また講釈や歌会に使用し、二階増築までの書斎であった「奥の間」など一階の各部屋は上がってごらん頂くことが出来ます。二階「鈴屋」は保存のために上がっていただくことが出来ませんが、石垣の上に見学場所を設置していますのでそこからご覧になって下さい。
建坪74.25平方メートル 昭和28年3月31日、国特別史跡指定。」(記念館web siteより引用)