令和5年度 卒業証書授与式 当日までの道のり【練習計画(8時間)と語り】
小学校教諭のsmyle(スまイル)です。
今年度は6年生を担任しています。
いや、していました。
本日、卒業証書授与式が行われました。
素敵な子どもたち、素敵な式でした。
卒業式を迎えるまで、
「卒業式練習」をどう進めていったのか。
その練習の在り方については、
Xでも様々な論争が起こっています。
声の大きさや動きを揃えることなど
徹底的に、まるで軍隊のように詰める指導。
それは、私もしたくありません。
コロナ休校の年、私の所属校の卒業式練習は
「休校に入る日」と「当日の朝」の2回のみ行われました。
それでも、素晴らしい式になりました。
たった2回の練習でも、子どもたちはできる。
そう分かったはずなのに、
卒業式に限らず、何でも、コロナ前に戻そうとする。
でも、そこに闇雲に反発しても、何も生まれません。
私なりに、想いと現実の折衷案を探りながら
進めてきた卒業式練習を、備忘録として残しておきます。
①時数削減・練習スケジュール作成
もともと、私の所属校における従来の卒業式練習は
・2月末から始まり
・練習回数は10数回
というものでした。
そこを思い切って回数を削り、
1.学年のホールで3回
2.体育館で学年練習を3回
3.通しの予行練習2回
の計8回としました。
もちろん、もっと削減できるのかもしれませんが…
10数回行っていた従来に比べると、大きな進歩かなと思います。
そもそも減らすのが目的ではなく、
適正な回数を探ることが大切だと思うので、
このように計画してみました。
②練習日程とその内容
具体的な練習スケジュールは以下の通りです。
③心構えと「めあて」づくり
卒業式練習初日の、その前日。
卒業式の会場図や座席表を見せながら、
子どもたちにこう投げかけました。
「明日からの卒業式練習。
本番と同じ並び方で、ひと言も話さずに整列し
練習開始を待つことができますか。」
急な投げかけに戸惑う子どもたち。
しかし、真意を察した子どもたちはすぐに答えました。
「できます。」
子どもたちは、担任が発した言葉に見え隠れする
「覚悟」のようなものを受け取ったのでしょう。
また、子どもたち自身も「いよいよ始まるんだな」という
「決意」のようなものを既に持っていたのでしょう。
初回から最後まで、
毎回の卒業式練習のスタートは、
良い緊張感を纏って始めることができました。
そして初めの練習の日、
まず子どもたちに問いました。
「卒業式という日を、大切にしたいと思っている人?」
できたら全員がそうであってほしいし、
もしそうでない子が居たとしても、
大切にしたいと思っている人の想いを踏みにじる権利はない。
そう伝えようと思っていました。
すると、
普段はやんちゃな子たちも含めて、全員が
「最高の式にしたい」と、意思表示をしてくれました。
「わかりました。式をつくり上げるのは皆さん自身です。
先生が『こんな式にさせたい』ではなく、
みんなの『こんな式にしたい』を形にしたい。
先生はそのために、最大限のバックアップをします。」
「姿勢の仕方や声の大きさなど、どんな姿やどんな声だと
あなたたちの成長やあなたたちの想いが見ている人に伝わるのか。
先生の役目は、自分では気づけない、客観的な視点から見えたものを、
君たちに伝えることです。」
教師の「こうあらねば」を強いて作る式ではなく、
子どもたち自身が見せたい姿、つくり上げたい式を
伴走していくよ、そんなメッセージを子どもたちに伝えました。
その話に引き続いて、
子どもたちの言葉から「めあて」を作ることにしました。
上記のように、「最高の式にしたい」という想いは
卒業を控えた子どもたちの中には、既に備わっているものです。
ですから、こちらが与えるのではなく、
あくまでも「引き出して」いきます。
引き出すにあたって、まず子どもたちには
「どんな卒業式だと"嫌"だ?」と聞いてみました。
「どんな卒業式がいい?」と聞くよりも
逆説的な見方をした方が、
より細部に渡る具体的な姿が挙げやすいからです。
・不真面目 ・返事が小さい ・姿勢が悪い ・覇気がない
・心がこもっていない ・緊張感がない ・目的が分かっていない
・5年生の手本になっていない ・来てよかったと思えない 等々…
たくさん挙がりました。
その上で、
「じゃあ、どんな卒業式がいい?」と尋ねました。
その、子どもたちが発した言葉から、
めあてを紡ぎ出しました。
「関わる全ての人の心を動かせるくらいの式にする」
その後の練習では、
このめあてに常に立ち返りながら進めていきました。
ただただ「めあて」に立ち返り、
「めあて」に適う練習であったかを問う。
最初から最後まで一切強い指導はしていません。
その必要もありませんでした。
④座り方、立ち方、礼の仕方…
卒業式練習が始まる少し前、
Xで古舘先生のポストを拝見しました。
「子どもにとっては既知。」
そう、教師はやたらと指導したがるけれど、
子どもは6年間学んできて、
そもそも12年間生きてきて、
もうすでに、どんな姿が「ふさわしい」のか、知っているのですよね。
古舘先生のポストのように
子どもたちに投げかけ、
子どもたちに言語化させてみました。
すると、
背すじのこと、手の置き方のこと、足の置き方のこと、
座る位置のこと、目線のこと…
こちらが伝えたいと思っていたことのうち、
全ての言葉が出てきました。
やはり、子どもたちはもう分かっていました。
その後の全ての練習において、
一切、姿勢について言及することはなく、
毎回の練習の開始を、本番のアナウンスである
「一同ご起立ください」「敬礼」「一同ご着席ください」の
号令で始めるだけ。これだけでした。
⑤練習の流し方→なるべく本番同様に
練習の中で意識したのは、
極力「本番と同じ流れ」で練習を進めるということです。
例えば、呼びかけの練習、卒業証書授与練習など、
ある程度繰り返して習熟を図りたい内容について
時間を割いて重点的に行うことが多いと思いますが、
その際、極力、式本番と同じ時系列で練習計画を組むようにしました。
従来は、時系列よりも
特に重点を置いて練習したい内容から
優先的に行うことが多かったのですが、
そうなるとどうしても1つ1つが「ぶつ切り」になり、
繋がりがイマイチ意識できず、
式全体の見通しをもち切れていない様子が
子どもたちに見られていました。
また、例えば練習のスタートを座席のところから始めるとして、
効率を考えてまず「退場」の練習をして、
体育館から出たらすぐに「入場」の練習をする、
ということを従来はしていました。
これ一見効率的なのですが、時系列的にはぐちゃぐちゃなので
単体の「動き」自体は洗練されても、
繋がりという意味ではかえって混乱するのではと考えました。
時系列に沿って、全体を大局的に捉えたほうが
見通しをもって行動できるでしょうし、
式全体を通した見通しをもてるからこそ
「こんな式にしたい」が明確になると思うのです。
起立や着席の練習においても、
式を通しての総回数を示したうえで、指導しました。
その方が全体を見通すことができ、心の準備が出来るのだろうと思います。
その成果なのか、
数少ない練習回数で子どもたちは式の全体像を捉え、
毎回の練習では、前時までの学びを着実に積み上げながら
見事な動きを見せてくれました。
予想を超える、子どもたちの姿の素晴らしさに、
感動すら覚えました。
⑥「5年生」に語ったこと
最終練習。
唯一の、5年生も交えた合同練習。
入場から退場まで、本番を想定した通し練習です。
(証書授与は時間がかかるので、初めの方と最後の方の児童だけ)
その途中で、
校長式辞とPTA会長祝辞の場面がありました。
校長先生やPTA会長の「礼」に、タイミングを合わせて礼をするのが
練習の主目的ですが、
そのシミュレーションで私がPTA会長役をしました。
「礼」の練習ができればいいので、
壇上で何かそれらしいことを話さなくても良いのですが、
良い機会と思い、壇上から6年生、
そして5年生に向けてメッセージを送りました。
6年生のめあては、
「関わる全ての人の心を動かせるくらいの式にする」
であること。
その「全て」には君たち5年生が含まれているということ。
6年生はきっとかっこいい姿を見せてくれるから、
5年生には6年生の背中を目に焼き付けておいてほしいこと。
そして、来年のみなさんのステキな姿につなげてほしいということ。
5年生の子どもたちは、真剣に受け取ってくれました。
5年生の子どもたちは、最終練習、そして本番で、
すてきな姿を見せてくれました。
⑦前日の語り。そして式。
いよいよ卒業式前日。
「最高の卒業式にするために」
最後の備えを子どもたちに伝えました。
・緊張してふらついたらすぐに座ってね。先生方が駆け付けます。
・何が起こるか分からないけれど、何があっても、堂々と続けよう。
・前日は21時には寝ること。
・あなたたちはもう十分、ステキです!
3月21日。
練習の回数を減らして臨んだ今年度の卒業式。
それでも、
素敵な卒業式になりました。
「もう1回練習しますか?」
「全体練習の前に、5年生とセリフ合わせだけでもしますか?」
「もっと〇〇しますか?」
いろんな先生方に、何度か聞かれました。
どれも
「しなくて大丈夫です。」
と答えました。
大丈夫でした。
誰のための卒業式なのか。
何のための卒業式なのか。
そのことについて深く考えることのできた、
卒業までの日々でした。
子どもたちへ。卒業おめでとう!