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イタリア最古の万年筆ブランドの『今』。   その1 

イタリアで最も古い万年筆ブランド、NETTUNO(ネットゥーノ)は1911年にボローニャで創業した1919年にトリノで創業したAURORA(アウロラ)より8年ほど早い創業となる。

神話の中のネットゥーノをモザイクで表現したブランドアイコン

「ネットゥーノ」はイタリア語で海王神ネプチューン、ギリシャ神話のポセイドンの意。伝統的な神話から得られる神秘的な魅力と力強さを感じさせるブランド名だ。
万年筆は1940年代後半までに黄金期を迎え、機械式腕時計や葉巻とともに「3種の神器」の1つ、大人の嗜みとして愛用されていた。
イタリアでも社会的に成功を収めた伊達男達がこぞってネットゥーノの顧客リストに名前を連ねた。多くの人々の筆記シーンに彩りをあたえていた。
そんな万年筆の全盛期にも翳りが訪れる。1945年に発明されたボールペンが大量生産され手頃な価格で世界中に普及しはじめた1950年代後半に万年筆市場が急速に萎みはじめ、ネットゥーノも他の多くの万年筆ブランドと同じく市場から消えていった。

1930年代後半から50年代の、古き良き時代の雰囲気が残る2024年の最新作たち。

その後、紆余曲折を経て2023年に最新のコレクションを発表。日本総輸入代理店より先行予約販売が始まった。巡りめぐってブランドの再生を託されたのは、デルタ社の倒産後、失意の底にいたナポリのニノ・マリノ氏だった。今回は、イタリアで最も古く立ち上がった万年筆ブランドの”今”へと続く道のりを辿ってみる。



数奇な運命をたどった『Nettuno (ネットゥーノ)』

1940年代当時の"NETTUNO”のポスター。

ボローニャの老舗万年筆専門店「VECCHIETTI(ヴェッキエッティ)」により立ち上げられたブランド「ネットゥーノ」は、当時同店の顧客であった街の名士や政治家たちの間で話題になり、瞬く間にイタリア全土に広がった。伊達男は必ず1本、ネットゥーノの万年筆を所有していたと言われ一世風靡したブランドだった。
しかし、時代の波には逆らえず、ボールペンの発明や経済環境の変化などから1950年代後半に経営危機によって一時的に製造を停止し、その後筆記具史から姿を消した。

当時のデルタ社が製作を依頼された「1911 Limited Editon」

Firma社による再生

その後、1999年にFirma社がブランドを引き継ぎ、再び世界市場に。
私がネットゥーノの万年筆を初めて目にしたのは2002年1月にドイツ、フランクフルトで開催された国際見本市「ペーパーワールド」だった。この時、Firma社から万年筆の制作を依頼されたのがニノ・マリノ氏率いるデルタ社だったのだ。流線型のボディーとキャップ。海神ネプチューンが持つ大きな三叉の槍をイメージしたブランド・アイコンのデザインがクリップと胴軸リングに添えられ、当時、デルタやビスコンティ、スティピュラなどのイタリア万年筆人気の追い風に乗って『ネットゥーノ復活』のニュースが欧米の万年筆愛好家の間で広がった。

右手が「スキッパー」ボールペン。左手は限定「1911 Limited Editon」のボールペン。
ここまではブランド側も高級筆記具路線を歩んでいた。

続いて販売された「Skyper(スキッパー) 」は、デビューを飾った『1911限コレクション』のテイストを引き継ぎながら、手に届く価格帯でもあり幅広い一般ユーザーからの人気も得た。これでブランド認知が広がるか、次への期待を抱いていが・・・Firma社はさらに広い市場を目指し一気にカジュアル路線へと舵を切った。

新いブランドならありかもしれないが・・・ちょっと飛躍しすぎた??

四角いカラフルな透明感ある樹脂素材とマグネットで開閉するキャップ。手に届きやすい価格帯で若者を狙ったモダンなデザインだた”BARRACUDA(バラクーダ)”は、ブランドイメージとは大きくかけ離れてしまい、一気に失速。残念なことに、その後に続くコレクションの発表はなく・・「ネットゥーノ」は再び業界から姿を消す。

その後、しばらくしてイタリアの老舗万年筆ブランドの"AURORA(アウロラ)"に商品化を託すが、なかなかブランドの復活とはならず。AURORAでは天体シリーズの中で「ネットゥーノ(海王星)」という名を冠した筆記具が発売された程度で、純粋なAURORAが作ったネットゥーノ・ブランドの万年筆は、その後も見た記憶がない。


・・続きは、イタリア最古のブランドの「今」、その2へ 

text / Photo 村雲 伸二






















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