夜逃げ民の労働環境とペリカ(モラトリアム期間6)
偽ブランドショップでの私の労働環境を書き連ねてみる。
学生時代からバイトもしたことのない私が、家業の手伝いとはいえ実質初めての仕事体験であり、比較対象がないためそれが普通と受け入れており、一般的な今の基準との差異で異常性が見えてくるのではという思考実験のような記事です。
拘束労働時間について、店員は私のみ(ワンオペ)のため休憩無しの連続11時間の立ちっぱなし。ランチ休憩も無し。座る椅子さえバックヤードにも無い。お客様がいない時だけダッシュでトイレに行く環境。
休日については、0日。駅ビルには休館もないためだ。そのためこの店にいた期間は休んだことがなく、世間の雇われワンオペ店員とはみんなそういうものという誤った認識を幼い私は何も疑問に抱いていなかった。
給与について、月給0円。夜逃げ中の両親にテナント料を差っ引いた売上げのみが振り込まれている仕組み。
福利厚生について、店徒歩圏にワンルームマンション完備(家賃6万 名義は私だが店側の立て替えにより実質無料)。開店が理由を問わず遅れた場合に違約金をテナントに払う契約があり、東京は普通に電車へ飛び込み自殺が多いのでリスクが高過ぎる。なので妥当な経費として計上したのだろう。店から徒歩5分に風呂付き、カーテン無し、照明無し、テレビ無し、ベッド無し。社会保険などあるはずもない。
ここから私の人生で初めての一人暮らしが始まる(もう両親と暮らすことはなく、今でも生きてはいるがこれが今生の別れとなった)2週間ぐらいは明かりのない部屋で床に寝る生活だった懐かしい極貧生活。アフリカの貧困層のような暮らしっぷり。
もちろん、このような無給で生活は出来るはずがない。
カラクリがあるのだ。父の許可を得てからではあるが、商品を売る際にレジを通さずに私の財布に入れる。これが弁当や家具を買い揃えて行く資金になって行く。
もちろんレジを通す前にレシートを要求して来ない常連のお客様を狙い撃ちにしていくが、それでも5万未満だったはず。
私にも矜恃があったのだ。私が奉仕に近い極貧の生活をすることで浮いたお金の一部が、少しでも大阪で偽名で暮らす「捨てられた」弟へ行くのであれば少しの苦でもなかった。苦行を重ねるたびに、さらに厳しい苦行を耐えることで弟が救われる。そんな妄想に酔っていた。
さて休日がない私が最低限の生活必需品をどのように増やしていったのかいうと地元の友人たちに頼み込んだ。私の友達は大学生ばかりで暇を持て余している。奇異なドロップアウトをした私を面白いイベントとして調達を快く受けてくれた。
同情の言葉を掛けずに私の部屋を作っていくことを楽しんでくれたことに今でも感謝している。その言葉があったら私の心は砕けていたかも知れない。苦しみを楽しむことで誤魔化していたから。
次回 お客様との色恋
メンヘラで引きこもり生活困窮者です、生活保護を申請中です。ガスも止めてスポーツジムで最低限の筋トレとお風呂生活をしています。少しでも食費の足しにしたいのが本音です。生恥を重ねるようで情けないのですがお慰みを切にお願いします。