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目覚め〜幼少期

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私の高校卒業までの歴史
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#実話

逆差別によるイジメ(幼少期編11)

逆差別によるイジメ(幼少期編11)

高校受験は順風満帆に上手く運び、合格した高校から滑り止めの進学校共学に行くことにした。理由は二つ、レベルが高いところで落ちこぼれたくないこと、そして共学で女の子とイチャイチャしたかったからだ。本当に意識低い系の極みだと思う、医師になる家族の命題はかわらないままに。

高校1年は勉学は無双状態であった。中学の貯金があったのだろう。塾も予習も自習もしないでクラスでは主要教科は控えめに言ってもトップクラ

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壊れかけの母と友達との縁切り(幼少期編6)

壊れかけの母と友達との縁切り(幼少期編6)

「1年生になったぁら友達100人出来るかな?」こんなCMが流れていた時代の話です。余談ですが大学生バージョンがありまして「友達と100人出来るかな」失礼しました。

弟が3月14日生まれ(戸籍上は4月2日してるズル)私は一人っ子を6年ちょいで卒業、さらに小学校入学を控え意気込んでいる時に父から「小学校に上がったら何したい?」と聞かれたので正直に一人暮らしをしたいと言ってみたら大波乱だった話をします

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パパとママのお仕事は?(幼少期編3)

パパとママのお仕事は?(幼少期編3)

新しい我が家には一般的には似つかわしくないモノが沢山あった。
絶対に怪我をするから、触ったらそこから錆びるからと言って飾ってるだけの日本刀、動物の剥製数体、煌びやかな鉱物、上下白のスーツや、山梨では見ないようなドレスに似た洋服。

時代かも知れないがパパはパンチパーマで基本サングラスそして白いスーツ。そんな大人はパパしか歩いていない違和感を子供ながらに感じ、ママは私といる時でさえ知らないおじさんに

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没落貴族の私の自我の目覚め(幼少期編1)

没落貴族の私の自我の目覚め(幼少期編1)

私が私と認識出来た最も古い記憶は3歳。その頃は山梨県の韮崎市の母方の実家で暮らしていた。

その家には父も母もいない。祖父と祖母と叔父夫妻と従兄弟達。従兄弟が言うには「私は捨てられた」、祖母が言うには父と母は東京でお仕事で預かってるからいずれ東京に行くことになると。

自我の目覚めがここからなので父と母の顔は知らない(正確には忘れている)。時々電話で話す声がママという人らしい。

祖父は豪農の出な

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世界の広がり(幼少期編2)

世界の広がり(幼少期編2)

いよいよ5歳に差しかかった頃に両親が私を迎えに山梨の家に来た。失礼なことに親を相手に人見知りし、祖母の後ろに隠れてしまった記憶が鮮明に残っている。私にとっては自我が目覚めてからなので、実質的に初対面なのだ。電話や写真などでは決して超えられない知らない人と同義なのだ。

どうやら数日は実家に滞在するようで、すっかりその間に懐いてしまっていた。血がそうさせるのか、子供の順応力の高さなのか私は後者だと思

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