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没落貴族の私の自我の目覚め(幼少期編1)

私が私と認識出来た最も古い記憶は3歳。その頃は山梨県の韮崎市の母方の実家で暮らしていた。

その家には父も母もいない。祖父と祖母と叔父夫妻と従兄弟達。従兄弟が言うには「私は捨てられた」、祖母が言うには父と母は東京でお仕事で預かってるからいずれ東京に行くことになると。

自我の目覚めがここからなので父と母の顔は知らない(正確には忘れている)。時々電話で話す声がママという人らしい。

祖父は豪農の出なのか近所の家に比べて明らかに広い家と庭、そして遊びきるには数ヶ月かかるだろう畑と田んぼがあった。白い倉っていうものもあったが入ったことはない。お客さんが来た時用の部屋は金色の小判や鹿や孔雀の剥製があってそれを眺めるのは好きだった。叔父は建築士なのか部屋に篭って設計図を書いていた、私がそこに入ることは禁止されており怖い部屋と思っていた。それ以外は自由に虫や野良犬と遊んでいた。近所には私と近い年齢の子はいないので遊び相手はいつも自然だった気がする。

5歳になろうという頃にパパとママという人が私を引き取りに来るということを聞かされる。正直言って怖かった、知らない人と知らない家に住むのということは祖父と祖母にもう一度「捨てられる」ということを実感しなければならなかったからだ。祖母の冗談交じりのうちの子になるかいという言葉にすがりたかったが世の中の子供はみんなこういうものだと思っていたのでパパとママを受け入れるだけだった。


この「捨てられた、捨てられる」という立場とそれに伴う感情が私を常に苦しめていくことになる。

※没落貴族=父方は日本人ならほぼ知ってる名家の分家の分家の意と、私個人の現在の資産状況からこのような表現を使用させて頂きました。


メンヘラで引きこもり生活困窮者です、生活保護を申請中です。ガスも止めてスポーツジムで最低限の筋トレとお風呂生活をしています。少しでも食費の足しにしたいのが本音です。生恥を重ねるようで情けないのですがお慰みを切にお願いします。