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夏休み振り返り

どうも、こんにちは、Simamuuです

忙しい夏休みでした、半分くらいは。精神的に疲れた夏休みでした。

簡単に振り返るとそれで終わりそうなのだけれど、色々と振り返るべきところはあって、それを言語化して残しておきたいと思います。

卒論を書きたくないという理由で現在noteに向かっております。午後には2時間卒論タイムをとってるんだからいいでしょ。たまには思ったことをしこたま書きまくる時間があっても良いと思うし、こういう時間がサウナみたいに必要なんだと思っています。

夏休みは7月25日から始まり、10月9日まででした。

人生で最後の夏休みになるはずであるこの夏休みを迎えるにあたり特に何かしようと思ったわけでもなく、ただただ休みたいという思いで迎えました。理由は単純で片道3時間半をかけて通う大学、その裏で過酷な1ヶ月間の就活(1ヶ月で終わったのはすごいかもね)、サッカーのコーチをするという3重苦の中で終わった前期を無事に終えた安堵感と休みたいという気持ちだったからです。あ、結局フル単しました。

蓋を開けてみれば、7月の後半から8月まではお盆休み以外オフのないサッカーに明け暮れていました。その中で判明したことは、というかその前くらいから困っていたのですが、ジャッジ能力と短期記憶能力がはてしなく低いということです。これはコーチとしては致命的なもので見えるべきものが見えていないという事実に気づく夏でした。最近はわからないということが判明したこともあってそれを改善すべくサッカーの現場にいる気がします。わからないことがわかるって生きてく上で必要不可欠だと思っているので好奇心で乗り越えるしかないなと思っています。

なんだかんだで小中学生の夏休みを乗り越え、会議にて神引きをして大会は勝ち残ることができた8月でした。高崎祭りも金沢帰省も行けたしよかったです。

8月はそんな感じ。

余談ですが一人で飲みにいって隣の席のおばさんと三軒目まで飲んで次の週、宅飲みしました。なんで友達の親友のママと飲んでんだよ。

8月は以上。

9月はなんか平日はとにかく暇でした。実は8月に卒論の調査を断られ続け、調査できる部分は終わっていたので追加で卒論の事例をやるか考えながら過ごしていました。結論から言うと卒論を書き始めた10月になって新たな事例に気づき調査をするか迷い始めてしまいました。9月は昼までだらだら寝て夜はサッカーに行っての繰り返し。土日は1日中拘束されていたので暇ではなかったです。

実はちょっと9月に入ったところで体調を崩しました。
でも、理由は多分サウナに行くのを忘れていたからでした。笑

サウナ大事なんだよなとか思いつつ、なんとか復活して相変わらずサッカーに顔出してました。

9月はなんといっても1番でかい大会とフットサルの大会が終わってしまったこと、フットサルで初めて監督をやったことが特記事項かな。マジでサッカーもフットサルも理想通りには行かないものだなと思いました。指導者業って監督業を含むのだけど、その二つってちょっと違うのですよ。監督は本当に難しい。指導者も難しいけどね。選手をうまく使ってあげられないマネジメント能力の低さに嫌気がさしました。悔しいので来年もやりたいと思いました。逆にね。

9月もそんな感じで終わりまして、実はサッカーの裏で引越しを決めたので内見に行ったりしておりました。つい先日東京に越してきました。大学にも実家よりは近いし、会社にも配属がどこでも通いやすいかつ群馬に帰りやすいところを選んだつもりです。自炊をいつ始めるかが現在の悩み事です。

そして、10月の初めに内定式がありました。楽しかったです。社長の熱量がものすごかったので今波に乗ってる会社に内定をいただけたのではないかと思っています。割とみんな知ってるかもしれない。飲み会は二次会で私にコールが回ってくるのが不思議でした。なぜ?(飲むけど)

夏休みはそんな感じです。うまく振り返るのは不可能。と言うかとりあえずもっと遊ぶべきだったけど、金がないから仕方ないなと思っているところです。お金がないってこと以外は恵まれてる夏休みだったと思います。経験をただ(嘘、ほぼ赤字)で買ってたからね。これはいいことだよね。

今後の予定ですが10月に入ってから卒論を書いています。それと授業が3つ。実は2つでも良いのだけど念の為3つ取りました。卒論+ゼミ+授業2つで卒業です。それに加えて土日はサッカーのコーチと言うか役員というか審判というか、現場でお仕事?木金は内定先でインターンを始めようと思います。余裕があればですけど、インターンも頑張りたいと考えている時期です。お金と経験が欲しくて。

今年が始まったところでは就職なんて全く考えていなくて院進するか専門学校に行こうとしていたと考えると人生は計画通りに行かないなと感慨深いです。もっと言えば、2年前の春は医療保護室にいました。社会の底辺です。そこからよく這い上がったものだなと思います。チーム関係者と家族には感謝しています。ただ親との関係性はうまく行っているとは言い難いので家を出るという選択をしました。主治医にも認められています。別に大揉めしたわけではないけど過保護すぎるのと干渉されるのが嫌すぎて我慢の限界だったのでちょうどタイミングにも恵まれたので離れることにしました。

まあ、人生は(主語でかっ)理想通りにもいかないし計画通りにもいかないけど、いつだって人生は謎めいているので面白いっちゃ面白い。ただ、そこに難しさと辛さを感じているのは皆んな同じなんだろうな、というか、ここまで複雑な人生送ってる人、私くらいじゃないかなとか思いつつ、上には上がいるという言葉をここに置いておきます。

今後は体調にもほどほどにしつつ人間関係を広げながら、残りの学生生活を謳歌したいと思っています。

とりあえず都合の良い友達が欲しいです。一人もいいけどね。

毎日卒論に追われる10月を過ごしていきたいと思います。

頑張ろう。

長くなっちゃったけど

それでは。

またね。


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