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第六歌集『都市空間』奥村晃作鑑賞

現代ただごと歌の提唱者として著名な歌人、奥村晃作の全歌集読み込み企画。第一歌集から鑑賞しています。(奥村晃作氏の紹介はこちらをご参照)
第一歌集『三齢幼虫』、第二歌集、『鬱と空』、第三歌集の『鴇色の足』、第四歌集『父さんのうた』、第五歌集『蟻ん子とガリバー』まで読んでまいりました。今回は第六歌集『都市空間』から私の好きな何首かをご紹介します。
これまでの記事はマガジン「歌人 奥村晃作の作品を読む」をご参照ください。

第六歌集『都市空間』 ながらみ書房 (1995)

第一部 感動派のボク歌を止めない

いたいけの子猫わが行く道のべの草地によろよろ入りて行きつも

信号の赤・黄・青といふけれど今きいはオレンジである

運転の車の席にゐる人を道行くわれは見つめたりしない

大らかな秋の樹々たち一斉に所かまはずあかき葉散らす

赤ん坊の頭ほどなる大きさの玉がクルクル転び来て、犬

濁流が溢れ出る如人間がから押し出る終点なれば

そんな奴歌止めるべしと言はれても感動派のボク歌は止めない

うまい順に食ふのかそれとも逆順に食ふのか象のエサの食ひざま

第二部 浮遊する都市の少女たち

「ロッカーを蹴るなら人の顔蹴れ」と生徒にさとす「ロッカーは蹴るな」

「人蹴ればケンカになるよ先生」と生徒の一人がすぐこたへたり

「ロッカーを朝昼さすり磨いたらニコニコ笑ふよロッカーちやんも」

大きゴミ適当に掃きもうこれで掃除済んだと生徒らは言ふ

近頃の高校生のツッパリは腰に金属の鍵束を下ぐ

エッチ系バイトにあそび休日の昼を漂ふ都市の少女たち

禿はげオジン・爬虫類もみんなカワイイと丸文字まるもんじ書く少女らは言ふ

エッチ系バイトで疲れ授業中眠りこけてる高二の少女

「授業料自分でかせぐ」高二少女 揺り起こせども起こせどもねる

第三部 東寨

日光湯本スキー場
進行の早いリフトにタイミング合はずて隣席の妻転がれり

乗らんとし刹那ツルテンと尻落す妻置きてリフトのわが運ばるる

独力でリフトに乗つてかつ降りて雪面を一人で滑り行くよ妻が

霧の摩周湖
昼毛ガニ、夜タラバガニ、ミーティングあとまた毛ガニの修学旅行

タラバガニ白肉しろにくムシムシ腹一杯食べて手を拭きわれにかへりぬ

皿に盛る毛ガニを眼にし「もう沢山」「見るのもいや」と口々に言ふ

前馬崙・東寨
とり・豚を拉致らちし去り行く日本にっぽんの兵のふるまひつぶさに見しと

の山の峰より村の媼等おうならは目守りゐき日本兵にっぽんへいのふるまひ

かの戦争はなんであったか東寨の村人よ柊二よ我等なぜに来た

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第六歌集『都市空間』は奥村の作風・表現、そしてまた人柄や価値観をさまざまな角度から知ることのできる興味深い歌集だと感じました。

第一部は日常詠。奥村の生活とたたずまいが受け取れます。奥村のユニークな観察眼、そしてこちらの歌にあるような“問いかけ系”の歌は
 うまい順に食ふのかそれとも逆順に食ふのか象のエサの食ひざま
は確かにと知的好奇心を掻き立てられると共に「人間のように象もうまいを基準にして食べる順番を決めるはずだ」という作者の勝手な解釈を歌にしている点も面白い。また何者かの批判者との対峙を彷彿とさせるこちらの歌からは奥村の自意識、価値観、表現軸を感じ取ることのできる、象徴的な歌です。
 そんな奴歌止めるべしと言はれても感動派のボク歌は止めない

第二部はテーマ詠でまとめられた部ですが、見所はなんといっても章題にもなっている「浮遊する都市の少女たち」という連作。これは社会学者、宮台真司著『制服少女たちの選択』を読んで想を膨らませ詠まれたものですが、当時の都市少女の危うい“微熱感”を、言葉遣い・リズムを駆使し見事に表現しています。ここで歌われている過激で逞しい少女たちは今やどんなマダムになっているのだろう。少女とオジンが繋がっていた時代。コンプライアンス的に今はすっかり無菌化されている現代ですが、そんな時代がついこないだまであったのだなとタイムスリップしました。

第三部はさまざまな旅行詠。奥村が妻とスキーを楽しんでいる場面は家族ならではの密着感のあるホームビデオのような歌で楽しい。男子校の先生として卒業旅行の引率をされたときの歌や、宮柊二先生の軌跡を辿りに中国を旅行されているときの歌など、各所での濃厚な体験が詠まれていました。

次回は第七歌集『男の眼』に入ります。

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