フシギなニンチショウから学ぶこと
要介護5、最近の母。
高次脳機能障害を経て、もう「認知症ですねん」という感じに落ち着いてきた。
脳卒中の後遺症である高次脳機能障害も、認知症とよく似ている(もちろん、全ての人がそうではなく、ダメージを受けた場所や生活習慣病とかの要因の有無などで全然違う)。
なのであまり気にならなかったが、近頃へんなことが多いので、ああ、進んだなと感じている。
よく居眠りをしていて(傾眠というらしい)、ハッと目を覚ました時に面白いことを言う。
「…姉ちゃん(私のこと)!ぬか袋2キロ買うてきてくれた?」
「…お母さん(私のこと)!今日は学校(デイのこと)ある?」
なんだなんだと思いつつ、うん、買うてきたでえ、ぬか2キロ、とか、はいはいオカアサンですよ何ですか?とか答えたりして、あとてジワジワ笑けてきたりする。
食事は手掴みが基本だが、たまにスプーンとフォークも使う。しかし、フォークの背を上にして使ったり、溢れんばかりのおかずをスプーンで掬い取ったりとままならない。
煮物と刺身を出せば、煮物にも刺身醤油をつけて食べるし、そうしている間に手に持っていたはずのフォークが里芋に変わっていて、あれ、これ何だっけってなって、里芋で刺身を刺そうとする。
そんな様子を見ると、ただ食事をするにしても、ものすごく脳は働いているのだと知る。
カトラリーの使い方、一口で含める食べ物の量、皮を剥くもの、タレをつけて食べる物などを無意識に判断して、食べている。すげえメカニズム。まあいろいろと大変ではあるが、よくよく見守れば、しばらくは家族団欒でご飯が食べられそうである。
学んだことといえば人体の不思議?だけでなく、認知症の人との向き合い方である。
もともとの性格の影響もあると思うので、みんなそうだとは思わないが、母に限って気がついたことを書いておきたい。
いろいろとわからなくなってきた、という自覚はある。だから、自分が間違ったことをしてないか、へんなことをしていないか、いつも不安がっている。
プライドもあるので、そういう気持ちを隠したい時、怒り出したりする。
日によって、わかることとわからないことにばらつきがある。
はたから見れば気分にムラがあるように見えるが、そう見える前に嫌なことがあったり、いいことがあったりしたのが影響している。
嫌だという気持ちを伝える言葉が限られて来ることがある。食事中に、熱い、と訴えている時、その料理が食べにくくて困っていることを伝えていることもある。
こういう背景に自ずと気づけるのが、家族介護の良さかもしれない。健常だった頃を知っているから、なんとなくわかるのだ。
どんな認知症の方にも必要だと思うのは、否定せずに受け入れることかもしれない。その人がするちょっとへんなことも、なんでもないように接すれば、多分、気持ちは安定するのではないか。
子育てと違い、ふつうの人のルールを教えても意味がない。その人の敷いたルールになるべく合わせてあげることができれば、きっと幸せで安心できるだろう。
最近はそういう気持ちで、母と接している。